315日(金)快晴 4:55 マイナス34/700 マイナス35/1250 マイナス15/23:35 マイナス22

 ヴェーサによれば、今朝の気温マイナス35℃は今季の最低記録だったそうだ。寒かったわけだ。

 朝食:野菜スープ、目玉焼き、野菜サラダ(ルッコラ、レタス)、リンゴ、パン+コケモモジャム、コーヒー

 仮眠

 1250沙弥と散歩に出かける。湖面に出て東岸に向かう。途中釣り人に出会う。近づいて挨拶すると、釣ってみないかと誘ってくれた。孫娘がさっそく竿を借りて上下に動かす。穴を掘って見せてくれたが、あっという間に1メートル近い厚さの氷に直径20センチくらいの穴を空けてしまった。他に2人ばかり釣っていたが、釣り上げた人は一人もいなかった。

           

氷に穴を空ける釣り人

 しばらく歩いていくと、小さなそりを押してくる老婦人に出会った。先日会った人だった。言葉を交わす。引退後コテージを買って湖畔に住むようになったのだそうだ。5年になるという。そりに試乗させてもらった。片足をそりに載せ、もう一方の脚で蹴る。実に軽く滑る。お年寄りの買い物には欠かせない道具だ。

 北岸の森に入り左折。スキートラックを歩いていたら、歩道があるからそこを歩くように注意された。なるほどスキートラックに並行して幅1メートルくらいの道がつけてある。しばらく歩き、木造の橋を渡る。そこを過ぎたところで再び左折し湖面へ出る。左手に木造の監視塔がある。雪が深く苦労して監視塔にたどり着き、雪が凍りつき滑りやすい階段を上る。3メートル四方くらいの部屋になっていて、湖水を隅々まで見渡せる。おそらく夏になると水上スポーツを楽しむ人々の安全を守るために、この塔の上で監視員が目を光らせるのであろう。

                 

                       そりに試乗させてもらう孫



                              湖畔の監視塔

 14:20頃部屋に戻り、サウナに入る。

 16時ころヴェーサ宅に向かう。明日の引っ越し時間の打ち合わせと、電話を借りてフィンランドの旧友らと話をするためだ。

 途中で、サウナ小屋の外で仕事そしているマリヤに会う。明日移る予定のパユラ(Pajula)棟は100メートルくらいしか離れていないが、重い荷物を運ぶのはつらい。それを察してか、明日コテージの準備が整い次第車で迎えに来てくれることになった。ありがたいことだ。なお、電話を拝借するのは後回しにして、一旦帰宅。

 そもそも滞在の途中でコテージを替えたくなかったのだが、予約の段階で35日から24日まで通しで同じコテージを取ることがどうしてもできず、結局3か所に滞在する羽目になった。第1期3月5日から3月15日までユラクセン・ヨプーの第7棟コテージに、第2期3月16日から3月22日までユラクセン・ヨプーのパユラ棟に、第3期3月23日および24日はアカスホテリ・ラップランドホテルズに泊ると言う、不本意な日程になってしまった。

 仮眠

 夕食:トナカイのソーセージ(黒っぽい色をしている)、野菜サラダ、焼きジャガイモ+バター、パン+コケモモのジャム、コーヒー

 19:00 沙弥を伴いヴェーサ宅訪問。マリヤが私の手帳にある電話番号をかけ、知人をさがしてくれた。

私にはフィンランドに知人が3人いる。そのうち二人は1965-66年、アメリカで一緒に勉強した級友だ。もう一人は私の勤務した高校に交換留学生として1年間在学したマルクスだ。結局電話が通じたのはヘルシンキ在住のアンナ・リーサだけであった。彼女は元ヘルシンキ大学の教授で、今や78歳になったそうだ。夫君が病気で週3回透析治療を受けているという。早い快癒を願って、電話を切った。もう一人の級友Tampereに住むリーサとヘルシンキ在住のはずのマルクスについては私の手帳にある電話番号がもう使われていない、とかで残念ながら声を聴くことができなかった。

 昼間快晴だった空が雲に覆われ、オーロラ撮影は望み薄となった。例の煙騒ぎを起こした薪ストーブの焚口は、耐熱ガラスの扉がついている。この隙間から冷たい風が入ってくる。新聞紙を隙間に詰めたり、ガムテープで目張りをしたら、室温が3℃も上昇した。

 2330ころ湖畔へ出て、オーロラの様子を調べに行く。相変わらず雲が厚く絶望的だ。

 就寝

 

3月16日(土)快晴 150 マイナス23/500 マイナス28

 2:50頃家内に起こされる。オーロラが出ていた。いつの間にか空は晴れ渡っている。幅の広い光の帯が天空高くかかっている。





                             3/16 41013

 500 部屋に戻り就寝

 800起床 

 朝食:レトルト食品(山菜おこわ)久しぶりの日本食だ。他にスクランブル・エッグ、ブルーベリー・ヨーグルト、コーヒー

 窓の外を見ると、ダイヤモンドダストが煌めいている。カメラに収めようとするが、なかなか捉えにくい。

 引っ越しのための最終荷造り。部屋の清掃を行う。3人で記念写真を撮る。



                         左から筆者、孫の沙弥、妻三智子

 今日は客の出入りが多いらしく、ヴェーサもマリヤも車で駆けずり回っている。部屋の点検清掃、トイレットペーパーなどの補充、シーツなどの取り換え、等々、大変だ。ようやく昼過ぎになって、マリヤが車で迎えに来てくれた。荷物は車で運んでもらい、われわれ3人は雪道を歩いて新居へ移る。今度のコテージは平屋建てで、ツインベッドルーム1部屋、ダブルベッドとシングルベッドのある1部屋、ダイニングキッチン、トイレとサウナ・シャワー室がある。5人まで生活できるようになっている。ダイニングキッチンの大窓から北の空を見ることができ、オーロラを見つけるのに湖面まで走らなくてもいいのはありがたい。


ダイヤモンドダスト

「引っ越し蕎麦」ならぬ「引っ越し餅」を食べる。

 その後、食料の調達にスーパーへ。日曜日とあって満員の盛況だ。

 果物、牛乳、肉類、野菜などを買う。ソーセージ・コーナーで一体何の肉でできているか、と買い物客に尋ねる。二人連れの女性客に4本入りのパックを見せ、原料に使われている家畜を問う。二人は細かな字で印刷されたフィンランド語の説明を読んでいたが、チキンのほか数種類の肉が混じっている、との返事。英語で何というか分からない、という。そこで、当地でもっとも一般的なものはどれか教えてもらい1パック買う。原料の方は分からずじまい。

 地元の人々に倣ってビールの空き缶9個を持ってリサイクル場へ行く。スーパーの入り口付近に高さ2メートルくらいのリサイクル品受け入れ機が2基据えてある。ちょうど顔の高さくらいのところに直径20センチくらいの丸い穴が開いている。その中に2筋のベルトコンベアーが内向きに回っている。缶や瓶を入れると、規定のものか否かを瞬時に識別し、合っていれば中へ吸い込まれていく。もし規定外のものであれば、缶や瓶は同じところで回転し続け中へ入って行かない。それは持ち帰るしかない。私の持参したビール缶9個は問題なく吸い込まれていった。投入が終了すると、投入口の右にある緑のボタンを押す。すると下のスリットから金額が印刷された紙片がでてくる。さてこの紙片をどこへ持って行くか、居合わせた女性客に尋ねると、レジへ持って行きなさい、と教えてくれた。レジのおばさんに渡すと、「キートス」といいながら1.35€の小銭とレシートをくれた。賢い回収制度だ。

 新しいコテージに戻り、みんなベッドに倒れ込み仮眠。

 17時過ぎに起き夕食の支度を始める。家内がスープ用の深皿が2枚しかない、と喚きだす。それに料理を銘々の皿によそうテーブルスプーンもないと言う。沙弥をマリヤのところへ使いに出す。その間に家内が食器洗浄機のことを思い出し中を開けてみると、先客が入れた食器がそのままになっていた。一方沙弥は、食器の不足分を訴えると、マリヤがDishwasherをチェックしたか、それに、各コテージには皿は8枚ずつあるはずだ、と答えたそうだ。当方の早とちりであった。要反省。

 夕食:ソーセージ+キャベツ+人参の煮込みスープ。好評だ。

 20時過ぎ、家内がキッチンの窓越しに北東の空を試し撮りした。オーロラらしいと言う。身支度を整え湖面に向かう。以前のコテージに比べると100メート以上遠くなった。途中で背の高い男女二人に会う。女性の方がSpeak English?と訊いて来た。きれいな発音だ。Yes.と答えると、「今夜はオーロラが期待できるか」と難問をぶつけてきた。通常なら10時か11時ころ北の空に出るはずだが、と応じる。二人はオランダから来ていると言っていた。

 その後オーロラらしき気配は全くなくなり、やむなくコテージへ引き返した。外気温がマイナス11℃と今までになく高温を示す。西から厚い雲が広がり、やがて全天を覆い尽くす。家内はキッチンの窓際に座り北の空を眺め続けていたが、午前3時ころ遂に諦めてベッドへ。

 私は4時過ぎまで監視を続けた後、眠ることにした。がっかりである。

 

317日(日)薄曇り、晴れ

 600 マイナス12.9/1000 マイナス10.1/1225 マイナス6.3

 どんどん気温が上がる。晴天が遠のく感じだ。

 8:00起床 朝食の支度をする。定番の野菜スープ、トースト、コーヒー、牛乳

 仮眠

 正午前にサウナに入る。

 沙弥と散歩に出る。湖面を反時計回りに半周する。若い母親が23歳の坊やにスキーを教えていた。

                
 
                        子供にスキーを教える母親

 フィンランド人の子育ての特徴の一つに、生後間もないうちから零下何十度という戸外へ連れ出す、ということだ。若い父親や母親が小さなそりに赤ん坊を乗せ、引っ張っている姿をよく見かける。なんでも、寒気に触れさせることで呼吸器や皮膚を鍛えるのだそうだ。日本人から見ると、ずいぶん乱暴なようだが、彼らにはごく当たり前のことらしい。

 一般道へ出て東に向かう。途中土産物を売る店がある。沙弥が興味を示し店内に入る。木彫り細工の素晴らしいものが並んでいた。毛皮の帽子も温かそうだ。しかしこの年になると、ものは極力買わないように努めている。邪魔物が増えるだけだと家内が口癖のように言っている。

 われわれがコテージに戻ると、家内が苛立っている。コテージ内の半分以上が停電している、とのこと。たとえば、調理ヒーター、トイレ、シャワー室などの電力がストップしている。早速オーナーの家へ行く。孫も同行する。マリヤが車で駆けつけ、別の建物にあるブレーカーを修復してくれた。どうやらみんなが一斉に大電力を要する調理やサウナを使用すると、ブレーカーが落ちるようになっているようだ。マリヤに少しも慌てた様子がなかったのは、かなり常習的に起きているからかもしれない。

 仮眠

 夕食:朝から煮込んだビーフカレーは、絶品だ。たらふく食べる。

 孫のiPhoneで日々のオーロラのレベルを知ることができる。今日は極めて強いレベル10である。オーロラ楕円帯(磁極を中心にオーロラがよく出現する楕円形の地帯)の色も真っ赤である。家内の期待値も最高だ。ところがこの最高の条件を天気が台無しにしてしまった。南風が吹き、気温がマイナス7℃と高くなり、厚い雲が全天を隠してしまった。雲や雪景色が赤く見えるのは、オーロラが雲の上で盛んに活動している証拠だ。

                

                オーロラ楕円帯の一部。北欧に赤い部分がかかっている。

せめて雲越しの明かりを記録しておこうと、カメラを持って外へ出る。雪面に影が映るほどの明るさだ。雲の上の大きなオーロラを想像しつつ、湖岸の景色を撮る。なんともやるせない気持ちだ。次の2コマは23時前後の景色である。

2330ころコテージに戻り、就寝。






                                                      続  く

フィンランド・オーロラ見物日記

その6

杉浦 久也 さん