その9(最終回)
杉浦 久也 さん
3月22日(金)曇り 3:05 マイナス13℃/8:15 マイナス4.8℃/10:50 マイナス2.9℃/21:10 マイナス4.3℃
どんどん気温が上がる。天気は悪くなる一方だ。
朝食:野菜スープ、目玉焼き、野菜サラダ、リンゴ、コーヒー、牛乳
強い北風が吹き荒れる。屋根や地面から粉雪を巻きあげている。
12:30ころ沙弥と散歩に出る。道路わきの温度表示板が何とマイナス1.0℃を示している。しかし風が強いから体感温度はもっと低いはずだが、それにしても急激な気温上昇だ。天気が心配である。
大通りを右折し広い歩道を北へ進む。この道は湖岸から数十メートルから数百メートルあたりを走っている。湖を半周したあたりで引き返す。追い風で歩きやすい。車道の雪はすっかり消え、スパイクタイヤの音を響かせて車が通る。
行く手の右に奇妙な建物がある。この間から気になっていた。ガラスを多用し、全体が軽やかだ。よく見ると塔の天辺に十字架がある。教会だ。通行人に尋ねると、教会の内部も素晴らしいから見学しては、と勧められる。孫は開扉の時間まで待って、内部を見学してきた。私は一足先にコテージに戻りヴェーサ宅に向かう。マリヤが薪割り作業をしていた。家族全員健康を回復したそうだ。喜ばしい。明日の引っ越しについて、最終打ち合わせをして別れる。
軽食:おにぎり(わかめ入り)
仮眠
マイナス1℃を示す表示板
村の教会堂(ヴェーサ夫妻もここで挙式したそうだ)
夕食:トナカイの焼き肉料理(ニンニク醤油漬け)、おこわ、野菜サラダ、等々。家内おこわの食べすぎで胃酸を飲む始末。
日付が変わり、午前1時ころ雲が切れ、オーロラが上空に現れる。しかしこれは活動の終盤の様子。スーパー脇の道路から撮る。
3月23日1:00〜1:15
3:00ころ就寝
3月23日(土)晴、朝小雪ちらつく 7:25 マイナス7.2℃/10:45 マイナス3.3℃/昼過ぎ プラス1℃(滞在中初めてプラスになった)
ユラクセン・ヨプー最後の朝食:野菜スープ、トースト、チーズ、サラミ、野菜サラダ、コーヒー、牛乳
荷物を玄関ホールへ集め、ヴェーサの迎えを待つ。
ヴェーサもマリヤも宿泊者の出入りが多く、あちこちのコテージを駆けずり回り、大忙しだ。
正午過ぎヴェーサが車で迎えに来てくれた。少し遅れてマリヤが別れの挨拶に来た。
荷物を車に積み込み、私だけ車でヴェーサと先行し、家内と沙弥は徒歩で来ることにした。ヴェーサの口利きのお蔭で、16時まで待たずにすぐチェックインできた。われわれの入る447号室は管理棟から200メートルばかり離れていて、しかも途中急な坂道や階段がある。ヴェーサが車で運んでくれたから助かった。
アカスホテリ・ラップランドホテルズ左側二階に宿泊
447号室にはツインベッドルームが2室、トイレ、サウナ+シャワー室、リビング兼ダイニングキッチン付の豪華なものだった。しかし正直なところ、ヴェーサのところの手作りのコテージの方が温かみがあり、好ましかった。
14:50ころから孫を連れ、散歩。近隣のコテージ群の中を歩く。太い丸太のがっしりした家や、日本の家屋に似た二階建てのコテージなどが、森の中に散在する。しばらく歩いて帰ってくる途中で、品のよい老婦人に出会った。向こうから話しかけてきた。話をしているうちに、同業者であることが分かった。50年も英語教師をしていたという。流暢な英語に感服。アフリカやベルリンでも教鞭をとったことがあるそうだ。
この先生、話の途中で予期せぬ質問を浴びせてくるのでドギマギしてしまう。当方が新設校の開設準備をしたことを話すと、どんな理念を以て学校を作ろうとしなのか、と訊かれる。あるいは、校長と、一般教員と二者択一を迫られたら、あなたはどちらを選ぶか、その理由はなにか?とたたみ掛けてくる。手ごわいおばあさんだ。一時間くらい立ち話をしてしまった。最後にe-mailアドレスを交換して別れた。これから内外の新聞(英語、ドイツ語、スエーデン語、その他)を読みに行くところだ、と言っていた。このような教師がフィンランドの教育を支えているのだろう。彼女が推薦してくれたMiracle of Education(教育の奇跡)という論文集を日本へ帰ったら取り寄せて読んでみたいと思う。
家内が、一晩くらいはレストランでフィンランド料理を食べたいと言うので、出かけた。例のスーパー近くにTowerというこぎれいなレストランがある。窓際のテーブルに座ると、小柄なウェートレスが笑顔でやって来た。一番人気の料理を訊くと、トナカイの肉料理を勧められた。細かく切った肉がマッシュポテトの上に載っている。キュウリの酢漬けと赤いベリーが添えられている。いい味である。地ビールとよく合う。家内は、パスタを選んだ。全部で86.10€だった。コテージで自炊する場合の数日分に値する。
明日の昼夜の食糧調達にスーパーへ行く。レジで偶然ヴェーサに会った。2度目の別れを告げる。彼も手を挙げて何やら言ったが意味は聞き取れなかった。
私の咳がひどくなった。いつもの気管支炎かもしれぬ。要注意。
今夜もオーロラを待って過ごす。部屋の窓から北の空が望める。待てど暮らせど極光出現せず。諦めて寝る。
3月24日(日)曇り 0:25 マイナス5℃/7:20 マイナス10℃/12:30 プラス2℃/19:00 0℃
7:30 ホテルのレストランで朝食。ビュッフェ形式。シリアル、牛乳、ドライフルーツ、スクランブル・エッグ、トマト、レタス、ソーセージ、パン、コーヒー、etc.etc. 悪い癖で腹いっぱい食べてしまう。
食後ベッドで休む。咳が止まらず、そのまま一日中ベッドで過ごす。
最終荷造りを始める。
沙弥一人で散歩。
Wi-fiがつながらないと沙弥が言う。フロントへ行き、確かめさせると、user nameと pass wordが日替わりになっていて、1日あたり2€だとのこと。なかなかちゃっかりしている。
夕食:ビーフシチュー、美味
全天を覆っていた雲が午前一時ころから切れ始め、地平線近くまで星が輝き始める。しかし、皮肉なことにオーロラの兆候なし。夜明けを迎え万事休す。
3月25日(月)快晴 7:30 マイナス12℃
シャワーを浴び、パッキング最終点検。重量超過が心配だ。
沙弥ゆっくりサウナに入る。この娘はどんな時もゆったりしていて、慌てる風がない。
レストラン前が空港行きバス停
朝食:シリアル、ソーセージ、ハム、チーズ、パン、レタス、トマト、キュウリの酢漬け、ニシンの酢漬け、スクランブル・エッグズ、コーヒー
10時前荷物を運び出す。大きいバッグは二人がかりで階下へ降ろす。最初に各自大バッグを引きずってレストラン前のバス停付近へ運ぶ。家内を番人として残し、沙弥と二人で残りの荷物を運ぶ。下に降りて角を曲がったところで、沙弥が滑って転ぶ。怪我がなくてよかった。
フロントで鍵を返す。Wi-Fi使用料として2€支払って済み。
1時間ばかり寒い風に震えながらバスを待つ。
11:05 キッティラ空港行きのバスに乗り込む。いよいよ3週間過ごしたアカスロンポロとはお別れだ。
運転手が運賃の徴収に来た。二人分30.20€のうち、20€を紙幣で、残りをコインで一掴み渡すと、数えもせずにっこり笑い次の客に向かった。鷹揚なものだ。
バスはユッラス・スキー場で大勢の客を拾う。山麓にはホテルがいくつもあり、ゴンドラが忙しく山頂に向かっている。
バスは再び坂を下り、元の道に戻り、キッティラ空港をめざし走り続ける。
12:10 空港到着。往路では夜遅かったので気づかなかったが、いま改めて見ると、小じんまりした空港だ。
チェックインがまた簡単だ。家内のバッグが4.5キロ超過していたが問題なく通してくれた。
例によって家内が、機内では私の着ていた厚手のコートは不要だからと言って、バッグに収納してしまった。おかげでターミナルから外へ出て数十メートル歩き、さらにタラップで立ち止まった数分間寒風にさらされ私は低体温になるかと思った。先回、トルコ旅行の際も同じような経験がある。もう金輪際コートは手放さないぞと決心した。
13:20定刻にAY448便離陸。
14:45ヘルシンキ空港着。
3人ともばらばらになり土産物買いをする。家内は値打ちだと言って、ミントチョコレートを山ほど買う。私は、お決まりのChivas Regalを2瓶購入。
孫は関空行きの便で、われわれより約10分遅れの出発となる。当然ゲートも違うので16時ころ別れる。無事到着したらメールを寄越すように言い含めた。
われわれの中部空港行きのAY79便は定刻より10分遅れの17:26離陸。
食事時間のほかは、映画を3本見たあと仮眠で過ごす。
3月26日(火)晴
目を覚ましたら、乗機は中国から韓国にさしかかっていた。
軽い朝食。
定刻より30分早く、9:27中部空港に無事着陸。
やれやれ、終わってみれば3週間の旅もあっという間であった。
最後にオーロラの動画を作りましたので こちら でご覧ください。
おわり
250415