極北トロムソ旅日記


            その11    杉 浦  久 也  さん

3月16日(月) 快晴、7℃/2℃

朝食後家内と散歩に出かける。重い防寒靴の代わりに、はじめて普通のブーツを履く。信じられないくらい軽い。だが凍結した場所は滑りやすい。要注意だ。

濃紺の海の色、対岸の雪山、青い空、心が洗われるような風景だ。


                   紺碧の海


                引き取り手のないボートの残骸


               「ひねもすのたり」の海


                  散策中の家内


            突然ある女性が体操を始めた。


              やがて上半身裸になった!


               男性の子守も珍しくない

若い女性二人が浜辺で幼児を遊ばせているようだった。10人ばかりの子供たちに目を配っていた。声をかけると、女性の一人が地面から立ち上がり応対してくれた。この幼稚園では、外で遊ばせるのは週一回で、10時から昼ころまで、とのことであった。写真を撮ってもよいか訊ねると、もうひとりの先生としばらく相談した挙句、「ダメです」と断られてしまった。多分安全上の問題で、このようなきまりになっているのだろう。そっとその場から立ち去った。

さらに先へ進むと、庭でなにやら燃し始めている男性がいた。名を訊ねると「オルジャン(Orjan)」と答えた。「立派な家ですね」と褒めると、「これは古い家で1950年代に建てられたものだ。数年前に土地つきで購入し、自分で手直しして住んでいる」と応えた。土地の広さが2000平米あって、建物をふくめ570万クローネ(約9975万円?)という。証拠としてメモに書いてもらった。数字に弱い小生の換算は間違っているかもしれない。いずれにしても高額なので、社会の階層から言って自分をどの辺と考えているのか訊ねると、“upper middle class(上流中産階級)”だと答えた。

芝生の庭に続く海にも自分の所有権があるという。当地では馬の歩ける深さまで自分の海だ、と言う。古風な話しだ。実際には岸から10メートルくらいまで、とのことであった。因みに彼の職業は、航空管制官でトロムソの空港で勤務している。「3月26日には私たちがトロムソ空港を飛び立つから、管制をよろしく頼みます」と冗談を言って別れた。感じの良い紳士であった。


     オルジャン氏の邸宅、庭の擁壁は自分で作った、とのこと。 


           馬の歩けるところまで自分の海だ

         
            オルジャン氏の書いてくれたメモ

昼食後昼寝

夕方から明朝までの天気予報を調べる。17日の午前2時ころまで晴れマークだ。それ以降は曇り、となっている。

オーロラ予報の方は、レベル4でActive(活発)とある。希望がもてそうだ。
早めに夕食を終え、オーロラの出現をひたすら待つ。

21時過ぎ、家内が天頂にオーロラの帯が微かに見える、と言う。試し撮りの1コマに、確かにオーロラの帯が伸びている。機材を携え500mばかり離れた海辺の広場へ急行。撮影態勢をとり、活発なオーロラの出現を待つ。
ところが、一旦現れたオーロラがだんだん薄れ、ついに見えなくなってしまった。他のカメラマンたちが引き上げた後も、われわれ二人はその場に居残り、オーロラの現れることを念じつつ待った。

23時ころ、ついにしびれを切らし、一旦部屋に帰ろうとホテルの敷地にさしかかったとき、天空に淡い光の弧が目に入った。すぐ元来た道を引き返し、公園まで急ぐ。

公園でカメラをセットし終わり空を見上げると、オーロラは影も形もなくなっていた。嗚呼。

現在日付が変わり、午前1時半になるが、雲が広がり星の数も減ってきた。今夜も諦め、寝るしかない。


                                 「その11」終わり