極北トロムソ旅日記


            その14    杉 浦  久 也  さん

3月19日(木)雨、牡丹雪、粉雪、吹雪、あられ、と目まぐるしく変わる天気。1℃

7:00起床、シャワー

このホテルのシャワーは、実に快適だ。湯量、湯の勢い、安定した温度、満点だ。

朝食後、明日からの小旅行に備えて荷造りをしなければならぬ。なかなか手がつかぬ。

あまりにも急激に変化する天気についてAngelitaに話しかけると、「こちらじゃ、夏でも外出するときは雪に降られてもいいように準備して行くものです。このあたりはノルウェーでも有数の豪雪地帯で、2メートル位積もります。この2年ばかり暖冬で、雪が少ないんです」と言っていた。後でフロント嬢二人に同じようなことを訊ねると、「7月、8月の二ヶ月くらいはあまり雪は降らないけれど、ほかの月はけっこう降りますよ」と答えていた。

午睡の後、15時過ぎ家内と散歩に出かける。雲の裂け目から青空が覗いていた。ところが10分もしないうちにアラレが音を立てて降り始めた。雲が立ち込め、対岸の山を消した。そうこうするうちに雪に変わり、衣服にへばりつき出した。


               歩き出した頃の天気


              突然アラレが降り出した

後ろから家内の声がする。何かと思ったら背の高い男性が大股で歩いてきていた。家内が声をかけたのは、邪魔にならないように避けなさい、ということだった。“Sorry!”と言いながら遊歩道を明けると彼は “No problem!”と小声で言って追い越していった。

路面にうっすら積もった雪に、どんどん先へ進む男性の足跡がはっきり残った。試しにその足跡へ自分の歩幅を合わせてみようとしたが、無理なことが分かった。あのような体型の人間と伍して競技しなければならない日本人選手は大変だ。

雪が激しく降る。みるみる銀世界になる。窓枠にも雪が積もる。明日のバスに支障が出ないか、気がかりだ。

21時過ぎ、家内の試し撮りにオーロラを認める。カメラを担ぎ公園の広場まで急行。

雪雲の切れ間からオーロラがちらりと見える。雲が反射し、露出オーバーになる。仕舞いには2分の1秒で切る。

11時近くまで頑張ったが、全天に雲が広がり星も見えなくなったので、部屋に引き上げる。

日付が変わり、午前零時過ぎ家内がまたオーロラを見つけた。今夜のオーロラの動きは奇妙である。出たと思うとすぐ消えてしまうのだ。雲に隠れたわけではなく、自然に薄くなり消えてしまう。厄介な動きだ。それに晴れ間も雲に狭められやがて無くなった。諦めて部屋に戻り寝る。またも実りなき一日だった。


3月20日(金)トロムソ:晴れ・曇り・小雪/アルタ:夜吹雪

6時起床

西の空の雲が淡いトキ色に染まる。昨夜の雪で一面白銀の世界に一変した。また真冬へ逆戻りである。

9時すぎ独りで外出。スーパーでビールの空き缶を出すのが目的だが、ついでに今日のアルタ行きに備えて、バスの時間表も調べておきたい。
通りに面した家並も新雪の化粧で見違えるほどだ。

11時すぎ家内と散歩に出る。ふと駐車場に目をやると、世界の主要なメーカーの車が並んでいる。ベンツ、ボルボ、トヨタ、フォルクスワーゲン、等々だ。


      当地ではベンツ、フォルクスワーゲンなどドイツ車が多い

海辺に沿っていつものコースを歩く。新雪を踏むのは心地よい。滑る心配もない。対岸の山々も一段と白さが増したようだ。

向こうから中年の女性が小型犬を2引き連れてやって来た。「かわいい犬ですね」と声をかける。話すうちに、彼女が大変な犬好きで、現在4匹飼育していること、毎朝2回2匹ずつ散歩をさせていること、そのうちの一匹は柴犬であること、などが分かった。2匹とも防寒用の服を着ていたので、その訳を訊ねると、いずれも毛の短い犬種なので、このようにしている、と言っていた。


                ワンチャンの散歩

100メートルばかり歩をすすめると、今度は若い娘さんがやや足の短い犬を連れたやってくるのに出会った。「おはようございます。私たちは日本から来ました」と、話しかける。すると彼女の方から「日本のどちらから?」と訊いてきた。「名古屋の近くからです」と答える。いつものことだが、「名古屋」知っている外国人はまずいない。

手振りで東京と大阪の位置を示し、その中間にある大都市が名古屋だ、と説明する。それでもよくわからない場合は、トヨタを引き合いに出す。すると理解が早い。娘さんは、ちょっと話を遮って、なにやら始めた。愛犬が道端に「お土産」を落としたらしい。黒いビニール袋を右手に被せると、器用に包み込んで始末した。「これ、大事なマナーです」と言いながら、ニコリと笑った。

「高校生ですか」と訊くと、「いえ、大学に行っています」と言う。「専攻は」と尋ねると、「航空です。パイロットになるつもりです」との答え。「頑張ってね」と言って別れた。

          
                 パイロット志望の娘さん


              薄汚れていた浜辺も雪化粧

次に出会ったのは初老の男性で、シェパードを2頭連れていた。砂浜で棒きれを投げては犬に取ってこさせていた。大型犬はわれわれも得意でなく、おっかなびっくりであった。飼い主は気さくな人物で、この2頭は母娘で母の方が5歳、娘が2歳だ、と教えてくれた。

強面の警察犬ジャーマン・シェパードの印象とは違い、非常におとなしい性格であった。私が1932年生まれの82歳だと言ったら、「エッ、60代だと思った」と真顔で応えた。



              ジャーマン・シェパードの母と娘

今日は日食が見られるとあって、テレビでも話題にされていた。スピッツベルゲンとかスボルバーでは皆既日食の観測や見物に大勢押しかけているそうだ。このへんでも70%-80%が欠けると言われているが、天を仰いでいる人は見かけない。さっきのシェパードの飼い主は、目を守るためのネガフィルムの切れ端を持っていたが、それを使って日食を観測したかどうかはわからない。

ホテルへ戻り、軽く昼食。

仮眠

15時ホテル前発のバスで市内のバスターミナルへ行く。先日と同様高齢者割引つまり半額料金で乗る。ありがたいことだ。

冒険家ロアルド・アムンゼンの銅像前のバスセンターでアルタ(Alta)行のバスを待つ。待っていると、丁度アルタへ帰るという60代の男性と一緒になった。「英語がお上手ですね。どこで習ったのですか」と訊ねると、「学校で習ったし、海軍にいたからね」と、応えた。

奥さんがトロムソで入院したとかで、週に一度見舞いに来ている、とのことであった。話のついでに、「昔クイズリングという人物がいましたね。現在ノルウェーではどのように評価しているのですか」と訊いてみた。「あれはナチスだった」と言うなり、黙ってしまった。これは話題にすべきではなかった、と思った。

150番アルタ行の標識をつけたバスが、発車時刻の20分も前に来た。大きな荷物を床下の格納庫へ入れたり、切符を一人一人丁寧に売っていると、このくらいの時間が必要なことが分かった。日本人から見ると、まことにゆっくりとしている。

客も文句を言わず順番を待つ。先ほど話を交わした元海軍さんは、真っ先に切符を求め、最前列の席にもう座っている。さすがに機敏だ。家内と私は最後から2番目になってしまった。

これでバスに乗ること3度目だ。「私は82歳で、妻は75歳です。高齢者割引の資格があると思いますが」とスムーズに言えるようになった。運転手も頷いて「半額でふたり分562クローネです(約9835円)」と言って切符を切ってくれた。名古屋から東京くらいの距離だから、二人分の料金としてはそう高くはない。


        昔トロムソからボードーまで乗った沿岸急行船乗り場

         
           バスターミナル前のアムンゼンの銅像

バスはほぼ満員になる。最後尾にはトイレが備わっている。老人には安心だ。

途中2回フェリーに乗る。最初のフェリーは乗船時間が約20分と短いため、乗客はバスの中にとどまっていてもよいが、2回目の乗船は40分と長時間のため、全員バスを降りなければならない。

大きな休憩室が用意され、そこで飲食したりして時を過ごす。


                 バス運んだフェリー

われわれが座った席へ、小柄な中年女性がやって来て座ってもよいか、とことわってから静かに腰をおろした。立ち居振る舞いがどこか優雅である。

「このバス路線はよく使われますか」と会話の口火を切った。トロムソともう一つ別の場所で働いているので、この路線をよく利用する、とのことであった。英語は苦手らしく、こちらの言うことも半分位しかわからないようだし、先方の言わんとすることもよくわからない。

わからない者同士で、筋の通らない音声を発しながらも、ある時間言葉を交わした。そこでおぼろげながら分かったことは、6年前にロシアのノボシビルスクからノルウェーへ移民してきた。現在は美容師をしている。結婚し子供もいる。

接岸の時刻が迫り、全員バスに戻った。ロシア人女性はわれわれよりかなり後ろの座席に座ったため言葉を交わすことはなかった。しかし、彼女が乗り継ぎのためバスを降りようとするとき、われわれのところで立ち止まり「良い旅をお続けください」と別れの挨拶を残して行った。人の心を和ませる女性であった。


           ノルウェーへ移住したロシア人女性

22時すぎ、バスはアルタ近辺に差し掛かった。靄が立ち込め、それが街の光でオレンジ色に染まり、オーロラ撮影には邪魔な様相を呈してきた。期待を裏切られた家内はしょげかえってしまった。

22時半過ぎにバスはアルタの終点に到着した。バスを降りると猛烈な吹雪にさらされた。バスの運転手にScandic Hotelを教えてもらう。雪の積もった歩道を、20キロ以上のスポーツ・バッグを引っ張って行く。通りかかった運転手が心配して、雪で分からなくなった横断歩道の位置を教えてくれた。

雪にまみれながらやっとホテルにたどり着きチェックイン。6階の大きな窓から空を眺めるが、降り続く雪でオーロラどころではない。諦めて寝る。長い一日が終わった。


                                   「その14」終わり