極北トロムソ旅日記


            その17−1   杉 浦  久 也  さん

北欧の旅も「その16」以後、予定外のことが待ち受けていて、われわれ老夫婦を翻弄した。そんなこともご報告しておきたいと思い、駄文を続けることにした。

3月24日(火)快晴、夕刻より曇り、夜半晴れ間有り 
5時過ぎ目覚め、対岸を望む。快晴だ。


                     521分対岸の雪山が染まり始める


                     6時対岸の雪山がオレンジ色に輝く



朝食後散歩に出かける。いつもの海岸コースだ。雪山と青い海が美しい。












                         海鳥が群がっている。

部屋に戻りのんびり休息。
夕日が対岸の山に沈む。雲が広がってきた。気がかりなことだ。
軽くサンドウィッチとレトルトそうめんで夕食を摂る。

休息。

トロムソでは午後9時頃から、オーロラの出番となる。空を間断なく見張る。ところがあいにく厚い雲がかかり、オーロラとの出遭いは遠のく。

残念ながら二人共眠ってしまった。目を覚ますとすでに23時をかなり回っていた。家内が窓から試し撮りをする間に、小生玄関から外へ出て天頂に目をやる。光の帯が「く」の字に曲がりながらゆっくり動いている。部屋に駆け込むと、家内も試し撮りからオーロラに気づいており、機材を持って飛び出して行った。小生も身支度をし、後を追う。

空の開けた海岸までおりるころには、残念ながらオーロラの姿は消えていた。しばらくその場に立ち尽くして、オーロラの出を待ったが、雲が広がるばかりであった。
日付が変わり午前零時半ころ部屋に戻り、就寝。

3月25日(水)雪、晴れ間、雪、/1℃

7時すぎ起床
Angelitaに明日6時にタクシーの迎えを依頼。トロムソ空港では出発1時間前に行けば充分だとAngelitaが強調したが、小生安全を考え、出発(8:30)2時間前を押し通し、ホテルを6時出発で承知させた。

Angelitaに使い古しのカイロの処置を依頼する。見たこともないというので、新品を2袋進呈する。イースターに山登りをするので使ってみる、と言っていた。
家内が手際よく荷造りを始めた。
外は晴れたと思うと、急に雪が降る。この繰り返しだ。



9時21分ころ
BBCテレビが航空機墜落事故を報道した。
「ジャーマンウィングズの旅客機墜落:アルプスの回収作業再開
火曜日に乗客乗員150名を乗せたジャーマンウィングズ機が墜落した後、南仏アルプスで捜索・回収作業が再開された。」
「当局者は、この作業がDigneとBarcelonnetteの間の人里離れた山の峡谷で数日にわたる可能性があると言っている。
ドイツ、フランス、スペインの指導者らが墜落現場を訪れる予定である。
エアバスA320-4U 9525便、バルセロナ発ドュッセルドルフ行は8分間の急降下の後墜落した、と当局者は語っている。生存者はいない。
当局者によれば、乗客144名のうち、交換交流で帰途についていた16名の生徒を含む67名がドイツ人であった。・・・・」

3月26日(木)トロムソ 晴れ
Angelitaが早朝にもかかわらず見送りに来てくれた。互いに抱擁して別れを惜しむ。


                        早朝見送りに来てくれたAngelitaと

空港へ着いて問題発生。まず11:40オスロ発コペンハーゲン行 (SK1467)が昨年の12月になくなっているという。現在は10:00発の便(SK1455)になっている。それに間に合うためには、当初予定していたトロムソ発8:30の便では間に合わない。1時間早めて7:30発の便に変えなければならない。空港へ早く来ていて幸いだった。この早い便に搭乗したまでは良かったが、いつまでたっても飛び立たない。そのうちにアナウンスが有り、目的地のオスロ空港が大雪のため離着陸に支障が生じているから、トロムソを離陸できない、と言う。待つこと1時間、結局8:30に離陸した。

これでは、オスロ10:00発コペンハーゲン行の便に間に合いそうないない。乗務員に質問しても、分からないとの返事。右手の窓越しに延々と続く雪山が見える。紺碧の海から真っ白な山が鋭い頂きをつきだしている。とくにロフォーテン諸島は美しかった。


                            ロフォーテン諸島南端?

9:50ころ、機長からアナウンス。15分くらい上空を旋回して着陸の順番を待つことになった、と言う。何度も”Be patient”とか “A few minutes”というような言葉が繰り返された。「ご辛抱を」「しばらく」という意味だが、これが1時間近くも続いた。10:25やっとオスロ空港に着陸した。

ところが空港はすでに大混乱で、機能は麻痺していた。フライトのキャンセルが続出。SASのカウンターにはすでに長蛇の列ができていた。整理番号の機械から172番の番号札を手にしたものの、しばらくすると、赤く番号を示す表示板が消え、折角手にした番号札の意味がなくなってしまった。どうも危機管理がまずい。

SASの職員が100krと印刷された紙片を行列の人々に配りだした。「好きなところでリラックスしてください。2−3時間経ったらまた集まってください」とのことだった。聞くと、この紙片は100kr分の飲み食いができる証明書である。言葉通りに昼食に行ってしまった者は(われわれもその仲間だが)、せっかく並んでいた場所を取られてしまい、また最後部へ回らねばならなくなった。

別の女性職員が「近くのホテルへ行って泊り、チケットをそこで予約してもらうことだ」と言った。それを鵜呑みにして、近くのラディソンホテルへ行く。ところが何の証明書もなく、SASから電話もきていないから、受け入れられないと一蹴されてしまった。

今度は空港のInformationの窓口へ行き助言を求める。Arrival Serviceへ行って見ろ、ということを聞いて、一階の荷物受取場の脇にあるSASのArrival Serviceカウンターへ行く。ここで新たな切符を発行してもらう。Dusseldorf経由で成田行きのANAの便に乗り継ぎ帰国する、というコースだ。

16:30発のDusseldorf行きを待つこと数時間。Crewの手当てができないらしい。結局19時ころキャンセルが発表されると、なぜか拍手と歓声が起きた。皆一斉に駆けだす。われわれもどこへ行くのかも知らず、皆の後を追う。着いた先はArraival Serviceだった。ここも長い列がでていて2時間待ち。やっとComfort Hotel Runway宿泊とシャトルバス往復費用を担保するVoucherを手にする。空港からシャトルバスで15分くらいの距離にある。

ホテルに着いて部屋に入る。空腹を覚える。ホテルのレストランは既にしまったいる。仕方なく自動販売機で1つだけ残っていたチョコレート・パフィンとジュース2個、水1本を買う。しめて175クローネ。この値段に家内驚嘆する。

WiFiつながらず、フロントへ行き助けてもらう。
長い一日だった。

午前零時過ぎ就寝。

                                         その17−1終わり


                                                       20150402