極北トロムソ旅日記


            その17−3   杉 浦  久 也  さん

次に訪れたのは、スキージャンプ台であった。実物を見るまでその大きさ、斜面の急角度のすごさを知らなかった。あれではまるで、ジャンプというより墜落というイメージだ。


                スキージャンプ台、大きすぎてカメラに収まらぬ

このツアーの圧巻はやはり海洋にまつわる博物館だ。先ず、ヴァイキング船博物館である。発掘されたヴァイキングの木造船が展示してある。その大きさの割に、使用されている板が薄いのが意外であった。


                         ヴァイキング船博物館にて

次に訪れたのは探検家アムンゼンらが極地探検に使ったフラム(Fram)号の実物が展示されているフラム博物館だ。巨大な木造船である。船内を見学するためにエレベターで3階の最上甲板まで行ける。船室内には調度品、観測機器、その他が当時のまま保存展示されている。

                
                

                        極地探検に活躍したフラム(Fram)

次に訪れたヘイエルダールが民族の海洋移動の実証実験に使用したコン-ティキ号、ラー号が展示されている博物館も興味深い。


                        バルサ材と竹などで作られた筏コン−ティキ号

                
                             ラー号

海洋博物館から戻る道すがら、車窓から見える白壁の家々が注意を惹く。ガイドの説明によれば、このような住宅はおよそ築150年くらいで、金持ちの象徴であったそうだ。建築当時は白壁を塗るには多額の費用を必要としたからだ。現在このような住宅に一つの問題が生じている。それは当時の住宅の断熱技術は発達しておらず、暖房用電力・燃料消費が多くなり維持費がかさむという点である。


                            白壁の家


                       宏大なマリーナが延々と続く

バスツアーを終え、16時過ぎ列車でホテルへ帰った。

一休みした後夕食。最後の晩である。ウィスキーのオンザロックを1杯注文した。94kr1645円)であった。料理はうまくなかった。家内曰く「朝のバイキングの残りものかも」。

明日いよいよ帰国の途に就く。明日から夏時間だ。時計を1時間進めて、早く寝る。


3/29(日)オスロ、曇り

4:30起床

空港で自動発券機械を使いボーディングカードを出す。ところが見たところコペンハーゲンまでしか出ない。やり直したが同じ結果だった。やむなく、職員のいるカウンターへ行き、北京までの搭乗券を入手。これでも、北京から東京の搭乗券は北京で発給してもらう必要がある。

いずれにしても、コペンハーゲン発北京行きの便まで10時間近く待たなければならぬ。もっと早い便はないか訊いても、結果は同じであった。

8:00ホテルのビュッフェで朝食用に頂いたリンゴを丸かじりする。こちらのリンゴは日本のものほど大きくないが、味はよい。非常用のパンや飲み水も、シキュリティを通る前に廃棄しなければならぬ。

今回は、カメラバッグ、パソコンは外へ出しておいたからか、シキュリティをすんなり通過した。

Gate 39へ急ぐ。

所定のGateに着くと、家内は「ウィンドウ・ショッピングをして来る」と言って姿を消した。はたしてウインドー・ショッピングだけで終わるか。

コペンハーゲン行きSK1455便は定刻10:00から50分遅れの10:50離陸。

隣の席に若い女の子が座った。なかなかの美人だ。話しかけると、気さくに応じてきた。現在ニューヨークの大学で経済学を学んでいるとのこと。親が外交官でニューヨーク領事館勤務である。妹が一人いるそうだ。何を質問しても、立て板に水の返事が返ってくる。頭の回転の良さに舌を巻く。これからコペンハーゲン経由でニューヨークへ帰るところだった。

11:15 コペンハーゲン着陸。妙だ。飛行時間がたった25分で着いてしまった。自分の時計が狂っているのか。

適当な待合空間を見つけて夜21時まで頑張ることにする。


                  一日頑張ることができた座り心地抜群の椅子

定時よりやや遅れて、2115分コペンハーゲン空港離陸。

夕食を終えるや、アイマスクをして熟睡。

家内に起こされたのは、着陸の2時間ほど前に供される軽食時間であった。

日付が変わり330日午前1130分北京空港に着陸。空港全体が大気汚染と思われる白い靄に包まれていた。われわれはAir Chinaに乗り継ぎ東京へ向かうのだが、オスロで発給してくれた搭乗券は北京までのものであった。Air Chinaのカウンターを探す。若い女性職員が機敏に対応し、直ちに成田行きの搭乗券を発給してくれた。

ところが出国手続きがネックになり、また長い行列だ。オスロでの悪夢がよみがえる。われわれの前に並んでいたアメリ人男性も乗り継ぎ時間が迫っているらしく、心配そうにあたりを眺めまわしている。小生列を離れ、搭乗券を振りかざしガラスの隔壁の向こうにいる女子職員に急いでいる旨を手真で伝えた。こちらの意図が通じたらしく、手真似でこちらへ入って来いと言っているようだ。家内を呼び行列の最前列へ急ぐ。例のアメリカ人と東南アジア系の家族4人も一緒に駆け込んできて、要領よくわれわれより先に手続きを済ませてしまった。

出国手続きを終え、やや薄暗い待合室で待機。一旦バスに乗り機体まで移動する。カメラの入ったバッグを提げてタラップを登るのが苦しくなってきた。年齢を感じる。

われわれの席は最後尾で、トイレの真ん前であった。家内は臭いと言うが、小生にはありがたいことだ。三つ並んだ席の窓側には小柄な丸顔の娘さんが来て座った。日本人かと思って声をかけると、中国なまりのたどたどしい日本語が返ってきた。なんでも、現在米国のマサチューセッツの大学で東アジアの歴史を専攻しているのだが、1年間上智大で勉強中だという。両親は北京にいて、父は実業家、母は大学で教鞭を取っているそうだ。「よく一人娘を海外留学に出してくれますね」と言うと、にこりとしたが、別に言葉はなかった。

13:55離陸。

間もなく出された機内食はスカンジナビア航空とは比較にならぬよい味だった。無料のワイン、ビールも味わえた。

17:45無事成田着陸。成田エクスプレス、新幹線を乗り継ぎ、午前零時ちかくになって自宅へたどり着いた。

旅は敷居を跨ぐまで気を抜くな、と自分に言い聞かせてきたのだが、今回は最後の最後で大失態を演じてしまった。玄関先の階段を踏み外して倒れ、コンクリートの擁壁に右前頭部を打ちつけてしまった。一瞬右目から電光がはじけた。メガネはすっ飛んでしまった。家内は救急車を呼ぼうと、思ったそうだ。小生、当たり所がよかったのか意識を失うこともなく、自力で立ち上がり歩行できた。ただ、右目の下あたりの皮が破れ、出血がかなりひどかった。右額にはみるみる大きな瘤ができた。「終わりよければすべてよし」とはならぬ旅であった。



                                                   「おわり」


                                               20150404