平成27年度
第22回 歴史・文化探訪の会(ご報告)
=天王信仰のふるさと津島を訪ねて=
去る 5月31日(日)に実施した第22回探訪会「天王信仰のふるさと津島」について報告します。
天候は晴れ、定刻の10時津島駅に18名が集合、総合案内所を借り日程確認等の後、現地ガイドさんの案内で探訪会を開始した。
ガイドさんを先頭に駅から天王通を西にゆっくり進み、およそ5分程で左に折れ宝泉寺の前で止まる。池麩町の道標があり、津島麩(寛政年間吾妻屋万藏が考案の丸麩、尾張藩主にも献上)の説明があった。そこから再び西に進み「蔵の道」に出る。道の両側に昔の豪商の蔵や商家の建物が残り独特の雰囲気を漂わせていた。ゆっくり歩きながら蔵の小槌形に組んだ石垣や建物を見学し、旧上街道に出る。
道を横断し堤下神社に着く。天王川築留め以前はその西に天王川が流れていて、川を隔てて津島神社の遙拝所であったと言う。さらに細い路地を西進し、広い通りに出る。この通りがかつての天王川のあったところとのことである。その通りを横切り、再び天王通に出てしばらく歩き、ご神木の大銀杏の佇む場所に着く(高さ30m、根回り10m、樹齢凡そ5百年、県指定天然記念物)。この地は昔天王川の西堤防に当たりお旅所があったので「お旅所の大銀杏」として知られていた。
大銀杏を後に、しばらく歩き津島神社の西鳥居に着く。この近くにも大きな銀杏の木(樹齢6百年県指定天然記念物)がある。津島神社は古くは津島牛頭天王社と言われ、疫病退散の神社として、古来より武門、貴賤から篤く尊信された(織田信長は氏神と仰いだ(神紋は信長と同じ木瓜紋)、秀吉を初め豊臣一門も多大な寄進)。神主は江戸時代末まで世襲で氷室家が務めた。本殿(県指定文化財)に参拝し記念撮影後、天王祭のミニチュアの展示してある場所に移動し、天王祭の説明を受けた。
その後南門に向かって移動、途中与謝野晶子の歌碑(「二もとの銀杏を於きて自らは紅き津しまの神の楼門」)等を見学し、南鳥居をくぐって津島神社を後にし、次の見学地堀田家住宅に向かった。
堀田家住宅は江戸時代中期に建てられた商家の建物で、敷地面積は約623坪、主屋と3棟の土蔵から成り、国の重要文化財に指定されている。火を通しにくい漆喰や土壁、うだつ、忍び返しなどがある。中に入り、説明を受けながら、こみせ(待合)、みせ、みせ座敷、書院、茶室、2階の部屋、土間、台所、不寝番部屋などを見学した。お昼近くなり、昼食会場に向かった。途中、与謝野晶子が寄った「まのや旅館」の前を通り、清正公社も短時間見学した。昼食会場に着き、総会(会計、役員等)後しばし昼食(信長御膳)・休憩を取った。
昼食後すぐ近くの津島観光交流センタ-(旧津島信用金庫本店、津島市初の鉄筋コンクリ-ト造り)に移動し、津島の四季DVDを鑑賞した。その後午後の見学を開始した。午後は主に津島のお寺、神社を見学することになった。初めに成信坊を訪れ、鬼瓦(庭に展示)、石臼を敷き詰めた参道、山門等を見学した。その後市神社(秋祭りの起源)、大龍寺(浪合記、信濃宮伝など古書あり、後醍醐天皇の曾孫・良王君が父の菩提を弔い建立)、雲居寺(五百羅漢像安置)、良王神社(良王(ヨシタカ)親王伝説地)、西方寺(奴野城跡?楠の大木あり)を巡り、15時少し前に津島駅に到着し、ガイドさんへの御礼、挨拶後解散した。多少疲労感はあったが、充実した一日となった。
歴史・文化探訪の会 清水國光さん よりお寄せいただきました。
20150708