トロムソ便り 2016 その1
杉浦 久也 さん
「宿に着くまでのトラブル」
トロムソは昨年の3月オーロラを求めて3週間滞在したが、悪天候のためたった2晩しかオーロラに遭遇できなかった、恨み骨髄の街である。二度と来るものか、と固く心に誓ったものだ。ところがオーロラシーズンが近づくと、もう一度弔い合戦のつもりで行ってみるかとなり、1月7日から24日の予定で宿と航空券の手配をした。
運悪く旅行直前に私が病を発症し入院する羽目になった。一週間絶飲食となり、点滴のみで過ごした。体重も4キロばかり減少した。これでは長期の徹夜も伴うオーロラ撮影旅行は無理と判断し、旅行をキャンセルすることに決めた。
ところが、オーロラ依存性の家内が旅行中止に猛反対を唱えだした。「病の治療で体の中をきれいに掃除していただいた今が一番安全な時でしょ。こんなチャンスに行かなくてどうするんですか」と妙な理屈をこねる。一旦言いだしたら引っ込めることを知らない我が女房だ。家庭平和のため旅行実施に踏み切った。
さて、11時間余の飛行を終え中継地のコペンハーゲンを経てオスロに到着。さらにトロムソ経由アルト行きの便に乗ることになる。問題はここで発生。家内の機内持ち込みのリュックがシキュリティ・チェックを通らないのだ。そのうちにリュックの中からカメラバッグを取り出し、さらにカメラバッグの中身まで取り出して念入りにチェック。次に何やらガーゼのようなものでバッグを拭っては試験機にかけ、付着物の成分を調べているようだった。一時はどうなることかと心配したが、ようやく無事パスした。パリのテロ事件以後、シキュリティ・チェックが一段と厳しくなったようだ。
乗り継ぎ時刻が迫っており、慌てて搭乗ゲートまで老体を鞭打って急いだ。
トラブルはこれだけで終わらなかった。トロムソ経由アルト行の飛行機がトロムソ空港に着陸した。アルト行の客はそのまま座席に留まり、トロムソで降りる客のみタラップで降りた。私はタラップを降り、地上で身を切るような寒気に震えながら家内を待つ。いつまで経っても家内が降りてこない。もう一度タラップを登り、乗務員に「家内が降りてこないが」と言うと、「奥さんのリュックが見つからず大騒ぎです。早く手伝ってください」と言うではないか。急いで後部座席へ行き、近くの荷物棚を手当たり次第、探す。アルト行きの客の荷物が多数残っており、探すのに一苦労。家内のものによく似たリュックが見つかった。ところがよく見ると他人のものであった。ひょっとして、この持ち主が家内のリュックと取り違えて持って降りてしまったのではないか、と一瞬思った。そのとき他の客の大きな荷物に押されて奥の方に隠れている家内のリュックが見つかった。
この騒動でアルト行の便は出発が遅れてしまった。文句も言わずに辛抱強く待っていてくれた乗客に何度も謝りながら機外へでた。外ではタラップに立ったまま、寒風に吹かれながらわれわれが降りるのを待っている大勢のアルト行の乗客がいた。この人たちにも謝りながらタラップを降りた。
夜中近くになって、シドスピッセンというホテルに着いた。昨年泊まった同じホテルだ。窓から西の空を見た家内が、オーロラの帯を見つけた。成田を出て20時間余の長旅で疲れていたはずだが、すぐさまカメラの準備をして勝手知った雪道を下ってフィヨルドの岸へ直行し、真夜中の撮影開始。その時の一枚が家内の撮ったこれである。雪山と海面を照らすオーロラを撮るのが家内の長年の夢だった。ようやくその夢が叶えられた瞬間だった。
杉浦 三智子 撮影
その1
20160115