平成28年度
第24回 歴史・文化探訪の会(ご報告)
=長篠城・設楽原決戦場を巡る=
去る5月15日(日)に実施した第24回探訪会「長篠城・設楽原決戦場を巡る」について報告します.
午前10時30分JR長篠城駅に集合、新城市観光協会の名物ガイド大林輝久さんの挨拶と簡単な説明
後(70ページ近い資料も頂く)、絶好の探訪会日和の中、ガイドを先頭に参加者14名(のち15名)、
長篠城址方向に望月街道を進んだ。うららかな春の日、宇蓮川の川向こうには緑の山が連なり、道
の両側には民家や畑が続くのどかな風景の中に置かれ、気持ちもリフレッシュされた思いであった。
しばらく行き、搦手門跡の標識の前で止まり見学、川向こうの砦跡群(武田軍の君ヶ臥床砦、
姥ヶ懐砦、鳶ヶ巣山砦、中山砦)の説明を受け遠望した。その後街道を外れ、大通寺へ向かう。
急坂を登り、移設された久保屋の灯籠の前で説明を受けた(武田家ゆかりの望月一族の子孫が興
した問屋の屋号で、川輸送や米流通で大きな富を得た)。さらに階段を登って大通寺へ、本堂裏
手の「杯井戸」に到着し説明を受けた(設楽原の戦いの前日武田四将が水杯を酌み交わした)。
しばし見学し、大通寺を後に長篠城址に向かう。
すぐ長篠城址に着き、説明を受けながら見学し、記念撮影も行った。長篠城は平地にありなが
ら、三方(宇蓮川、寒狭川、矢沢)を深い谷に護られ、攻めにくく護りやすい城であったという。
現在は公園になっていて、一部をJR飯田線の線路が横切っていた。鳥居強右衛門のエピソ-ドが
印象的であった。その後史跡保存館に移動し、望月家の鬼瓦、血染めの陣太鼓、火縄銃、上州産
石の硯など長篠の戦いゆかりの品の展示を見学した。
午前の見学を終わり、昼食会場の寿司屋へ移動し、総会を行い、「馬防柵で勝ちらし寿司」で
昼食を摂り歓談した。
昼食後はマイクロバスで移動し、車窓から医王寺を見て、設楽原決戦場に到着した。バスを降り、
ここで甲冑着付体験の三名と別れ、再現された馬防柵の所に移動した。
ガイドから長篠合戦屏風図をもとに決戦の説明を受けたが、織田の鉄砲隊対武田の騎馬隊という
単純な戦いではなかったようである。連吾川は意外に小さな川であった。ここが天正3年(1575)
5月21日織田・徳川連合軍3万8000と武田軍1万2000が戦い、多くの戦死者を出した
地であるということで感慨深かった。ガイドから、「見通しの悪い場所でしかも寄せ集めの部隊
で鉄砲の三段撃ちができるか疑問である、当時戦いは馬を下りて戦っており、騎馬軍団での戦い
などなかったのではないか、馬防柵も屏風図のようなものではなかったのではないか」など、大
変興味深い解説も受けた。しばし馬防柵周辺を見学し、急な坂道を登り歴史資料館に向かった。
資料館に入る前に、すぐ近くの信玄塚(村びとたちが将兵の遺体を埋め松を植えて弔った)を
見学、甲冑姿の三人も入って記念撮影を行った。その後資料館に入り火縄銃、ひおんどりの松明
などを見学した。資料館を出て14時50分頃探訪会を終了し解散、三河東郷駅から家路に就いた。
歴史・文化探訪の会 清水國光さん よりお寄せいただきました。
20160731