ハワイ・リポート 2016  その22

 ビショップ・ミュージアムに行ってきました。市バスで初めていく方向なので、バスの運転手に慣れない英語でお願いをしました。

 マスクをかけた40歳代の男性運転手が、日本語で30から40分かかると日本語で言われてしまいました。 日本語が通じるなら下手な英語を使わなくてもよかったのに!。とにかく、5ドルのマンスリーステッカーを有効に使うため、目的地に向かう際、乗車する前に運転手に確認して乗車して目的地に向かいます。

 市内には多くのバスルートがあるため、この確認は必要かと思います。正面入口で入館料を二人で31.90ドル払いました。65歳シニアーステッカーとJxxカード利用特典の切り取りを見せたからお値打ちに入館できたかも?


 

 ハワイアンホール前通路の改修工事の為、ポーティコと呼ばれる本館裏側出入り口から入りました。


 


 


 

                     ハワイ王朝の家系図です。


              

 カメハメハ大王 [ 1758 (?)〜1819 ] 強大な軍事力と指導力で1810年にハワイ諸島を統一、ハワイ王国の礎を築いた。外交にも長け、ク ック以来、頻繁に訪れるようになった欧米諸国とも積極的に交流し、その技術を取り入れた。

          


    

                                          カラカウア王


 カラカウア王 [ 1836-1891 ]カメハメハ5 世の死後、王は選挙で選ばれるようになった。貴族院の議員として活躍していたカラカウアは、2度目の挑戦で念願の王に就任した。ハワイの伝統を守ることに力を入れ、近代化する ハワイで忘れられつつあったフラを復活させた。日本とハワイの関係を深めるために尽力したこと でも知られています。彼は史上初めて日本を訪れた外国の国家元首でもある。


         

               ルナリロ王                       リリオカラニ女王

 ルナリロ王は1835年、カメハメハ1世の異母兄弟カライママフの孫として誕生、ハワイ王国第5代国王カメハメハ5世が後継者を定めないまま1872年に亡くなったため、憲法に従い、ハワイ王国始まって以来初めて選挙によって選ばれる。しかし、肺結核にかかり、在位わずか1年1ヶ月ほどでこの世を去る。

 リリオカラニ王はハワイ王国第8代の女王であり、最後のハワイ王。在位は1891年1月29日 - 1893年1月17日。1862年にアメリカ人のジョン・オーウェン・ドミニスと結婚した。1878年に作詞・作曲して今でも多くの人に親しまれている歌『アロハ・オエ』、「女王の祈り」、『クムリポ』(ハワイ王国の創世神話)の英訳などの著作を多く残している。


 

 1779年にイギリスの船団がハワイ島、ケアラケクア湾に立ち寄った際、当時島を治めていたカラニオプウ(カメハメハ大王の伯父)がジェームス・クック船長に贈ったアフウラ(鳥の羽根のマント)とマヒオレ(鳥の羽根のヘルメット)が237年ぶりにハワイに帰ってきました。ニュージーランドの国立博物館から10年貸し出されたというものです。
 
 
 


 


 ビショップ財団


 バーニスは聡明な美人で、ロト・カメハメハ(カメハメハ5世)からも求婚されていました。 しかし、ハワイの王族同士の結婚に抵抗のあった彼女はそれを断わり、アメリカ人の若者 チャールズ・リード・ビショップと結婚してしまいます。1850年、バーニス18歳、ビ ショップ28歳のことです。

 結婚後、彼女は父パキ、母コニア、ほかの従妹たちから続々と遺産を相続していくことに なり、たくまずして、ハワイ全土の10%近くを個人所有することになるのです。 18 72年、病床のカメハメハ5世はバーニスを、今度は結婚相手ではなく、王位後継者 として指名を受けてくれるよう依頼しますが、バーニスはこれも固辞。夫ビショップと共 に 静かな生活を送ることを選んでしまうのです。

 カメハメハ5世のあとを継いで女王に即位していたら、 ハワイ王室の財政基盤は磐石となり、その結果、アメリカ系財閥からの不当な圧力などは、はねつけることができたのかもしれません。

 ちなみに、バーニス自身も1884年に亡くなってしまい、夫のビショップが莫大な財産 を相続します。しかし、ビショップは全く驕らず、妻バーニスの名を冠し た「バーニス・ パウアヒ・ビショップ」財団を設立、有名なビショップ博物館(正式にはBernice Pauahi Bishop Museum)をはじめ、カメハメハ・スクールズなど教育や教会に莫大 な援助を続ける一 方、みずから保有することとなった銀行や不動産を通じて、カメハメハ3世からリリウオカラニにわたるハワイ王家6代をサポートし続けたのです。

 ハワイ王国滅亡後、暫定政府や共和国政府からはビショップに対して再三協力要請があり、 入閣も打診されたようですが、それを潔しとしなかったビショップは引退してサンフラン シスコに隠居、1915年に亡くなるまで静かに暮らしたということです。

 ビショップ財団が運営しているのは、ハワイ州に3校ある、カメハメハ・スクールズだけなのです。つまり、その大財団の恩恵を受けているのは、その学校に通う、幼稚園から高校生までの、5千人あまりの生徒だけなのです。カメハメハ・スクールズには、きびしい入学条件があり、ハワイアンの血(1/16)を引いているというだけでは入学することができません。したがって、オバマは入れませんでした。

 2011年公開、ジョージ・クルーニー主演の映画「ファミリー・ツリー」(原題:The Descendants「子孫たち」)には1860年代から先祖代々受け継がれてきた広大な土地を7年後の信託を前に売却するかどうかということが背景に描かれています。


                                                     その22 終わり


                                                           160922


 
加藤 達也 さん

ハワイの歴史と文化が学べる「ビショップ・ミュージアム」