旧東海道を行く(14):吉原~三島  33,094歩(22.5km)  水野 昭彦 さん

3月6日(日) 吉原宿~~JR吉原駅==(JR)==JR原駅~~千本松原~~沼津宿~~三島宿

 
 富士市のガイドパンフレット(上掲載)によれば、吉原宿は慶長6年(1601年)に東海道の宿場として指定された。
それは現在の元吉原地区(JR吉原駅付近)にあったが、漂砂や高波の被害にあったため、寛永16年(1639年)に
内陸へ所替(ところがえ:宿の移動)をした。中吉原宿と言われる地区である。ところが、そこでも台風による高潮の
被害に遭い、延宝8年(1680年)再度所替をし、新吉原宿となった。現在は商店街が並び、バスセンターもあって
賑わっている。
 江戸時代の始めの80年間に2度の災害に遭い、所替を余儀なくされた事実は、東日本大震災で高台移転を進めて
いる町のことを改めて思い出させた。

 
 新吉原宿に所替されて(1680年)間もなくの、今から330年前に創業された《鯛屋旅館》に泊まり、翌朝8時半三島に
向けて出発。ご主人が火打石を打って道中安全祈願をして見送ってくれた。右上写真の3人は同宿し、彼らは私とは
逆方向の蒲原に向けて出発した。


《江戸から京に向かう時常に右に見える富士山が、宿場が内陸の北の方に移転したために、左側に見えるようになる。
これが名所《左富士》。中吉原地区のわずか500m位の間だけ左側に見える。昔からの松は1本のみ残っていた》



《昔の旅人はこの雄大な富士山に何を感じていただろう?》

 
《京へ上る埼玉のご夫婦とすれ違う。今日は蒲原まで行くという。》


《海岸線に延々と続く千本松原を約6km歩いて沼津まで抜ける。:ここからも富士山が綺麗に見えた。》


 



 
             《街の中心部にある三島宿本陣跡と下は明治時代に造られた小松親王の別邸の楽寿園》



                                                         20170315