連休中の民族移動を避けて、ボケ封じの岩間寺(岩間山正法寺)に車で行ってきました。
岩間寺は大津市と宇治市の境にある真言宗醍醐派岩間山正法寺と称されています。岩間山の(標高443m)中腹にあり、観光客もほとんどいないため、のんびりと参拝することができました。
岩間寺は大津市と宇治市の境にある真言宗醍醐派岩間山正法寺と称されています。岩間山の(標高443m)中腹にあり、観光客もほとんどいないため、のんびりと参拝することができました。
滋賀県大津市と京都府宇治市の境にある標高443mの岩間山中腹に位置し、岩間山正法寺と称する。
西国三十三所第十二番、ぼけ封じ近畿十楽 観音霊場第四番札所、びわ湖百八霊場湖西二十七古刹第二番。
養老六年(722年)、加賀白山を開いた泰澄大師が元正天皇の33歳の大厄の病を法力により治した褒美として建立したことに始まる元正天皇の勅願寺院である。往昔は、後白河(ごしらかわ)・後宇多(ごうだ)・正親町(おおぎまち)天皇等歴代天皇の尊崇厚く熊野、吉野に並ぶ、日本三大霊場の一として隆盛していた。
養老六年元正天皇の病気平癒祈願を成満した泰澄は、同年、加賀白山を開く途上、霊地を求め岩間山を訪れた折、桂の大樹より千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、元正天皇の御念持仏をその胎内に納め祀りご本尊とした。
『観音霊験記』によると、江戸時代の俳聖松尾芭蕉は、岩間寺に参籠してご本尊の霊験を得、その俳風を確立したと言われており、本堂横手には芭蕉が「古池や蛙とびこむ水のおと」を詠んだと伝えられている"芭蕉の池"が残っている。
夫婦桂
170429