奈良散策
 
加藤 達也 さん
 

                        宿泊したお宿の朝食です。


 

                      小学生の社会見学のようです。


 

 法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。

 その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。


               


 古都奈良を象徴する塔です。塔は仏教の祖釈迦の舎利(しゃり)(遺骨)をおさめる墓標です。
 天平2年(730)に興福寺の創建者藤原不比等(ふひと)の娘光明(こうみょう)皇后がお建てになりました。

 

 西国三十三所観音霊場の第九番札所です。 弘仁4年(813)に藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)の冥福を願って建らた八角円堂です。基壇(きだん)築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎(わどうかいちん)や隆平永宝(りゅうへいえいほう)をまきながら築き上げたことが発掘調査であきらかになりました。          


                 


            


 

             1300年の時を越え、蘇った天平の宮殿、約200億円なり。   


 


 
 
 
                                    平城宮跡第一次大極殿正殿復原工事

                                    復元工事中の様子


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