8:30起床
停電に気づく。すべての電気器具がダウンだ。それで困るのはまず暖房器である。キッチンへ朝食の様子を見に行くと、掲示板に「停電のため、朝食が遅れます」と書いてあった。しばらくすると甲高い警告音が響き、電力が復旧した。
しばらくしてから再びキッチンへ行くと”Cinnamon buns with Cream Cheese Glaze”という掲示板があり、その下に直径が10センチ近くある菓子パンがいくつも容器に並べられていた。二ついただいて部屋に戻る。いつものように牛乳で煮た穀物粥と共に、このケーキを食べる。いずれも甘い食物で閉口だ。
荷物整理・仮眠
14時すぎ昼食:オムレツ(タマネギ+マッシュルーム+トマト+チーズ入り)、リゾット、鶏手羽先照り焼き、牛乳
午睡
二人とも最後のシャワーを浴びる。
本格的荷造り。すべて家内がてきぱき処理する。こちらが手を出すと叱られるのがオチだ。
荷造り専念する家内
外は相変わらず雪が降っている。
20:20頃最後の夕食:サンドウィッチ(ハム+チーズ+マヨネーズ+人参)、野菜ジュース
道中カルガリー発の国際線に乗るまで機内食は出ないので、弁当にチーズサンドウィッチを作った。
戸外は粉雪が盛んに降り続いている。
今夜の天気予報を改めてみると、雪、マイナス10℃とある。
ところが、日付けが改まり4日の午前零時過ぎから天気が回復し、オーロラが現れ出した。まさに早朝の出発を前にしたギリギリの撮影機会だ。逃すわけにはゆかぬ。オーロラマックスにもはっきりオーロラの動きが出ている。
湖上へ出て懸命に撮る。約1時間くらいの勝負であった。有終の美を飾るオーロラの旅となった気がする。
休憩・仮眠
4/4(火) 晴れ、朝マイナス6℃
3時30分かっきりに約束通りタクシーのヘッドライトが見え、安心する。背の高いやせ形のアラブ系青年が運転手であった。訊くと、エリトリアからの移民で、カナダへ来て7年になるという。まだ独身で、いませっせと結婚資金をためている最中だそうだ。
間もなくイエローナイフ空港に到着。料金は18ドル、チップも加えて20ドル渡した。その加減がどうか分からないが、車を止めるが早いか、運転手の青年はすぐターミナルに飛び込んで行き、大きなカートを押して出てきた。それにわれわれの荷物を積み込み、カウンターの前まで運んでくれた。あり難かった。
6:00発のエドモントン行きの便までずいぶん時間の余裕ができた。手作りのチーズサンドウィッチにかぶりついた。まことにうまい。
セキュリティー・チェックで家内が引っかかる。国内線だからと高をくくり、熱いコーヒーをサーモに一杯詰めてリュックにいれていたのだが、見つけられすぐ廃棄せよと命じられた。いろいろさがしたがどこへ捨てたものかと案じた結果、ゴミ箱へ流し込んできたそうだ。
例によってこの空港ではターミナルから戸外に出て、飛行機まで相当の距離を歩かねばならぬ。職員から滑りやすいから気を付けて歩くように注意があった。往路と同型のボンバルディアQ400である。日本が開発中のMRJのライバル機である。イエローナイフ?エドモントン、さらにエドモントンからカルガリーへと2便乗り継いだが、いずれの便も定時発着であった。かなり信頼性の高い機種と思われる。
我々が乗ったボンバルディア機(エドモントン空港にて)
窓越しにカナディアンロッキーの雄姿が見えた
カルガリー空港はまことに大きな空港だ。自分たちのゲート探しに苦労し、女性の係員に尋ねると、行き方を教える代わりに白ひげを蓄えたかなり年配の男性が運転する電動車を呼び止め、その車に乗って行きなさい、と言う。よほど我々二人がよぼよぼの危なっかしい老夫婦に見えたにちがいない。ありがたく電動車に乗ると、白ひげの男性は上機嫌でなにやら歌を歌い出した。あっという間に我々のゲートに到着した。もし歩いていたらそうとう時間を要したと思われる。
カルガリーの乗り継ぎ時間を使って、頭の痛い土産物探しをした。日本人店員が勧めてくれたカナダ産のチョコレートを買うことにした。レジ係りの白人女性の愛想のないことといったらなかった。何が気に入らないのかふてくされた顔をして、品物を袋にいれ投げるように寄越した。こちらが「サンキュー」と言っても反応なしであった。日本の百貨店で研修を受けさせた方がいい。
成田行きのAC9便は定刻を少々遅れ13:15カルガリー空港を離陸し、アラスカ、アリューシャン、カムチャツカ半島に添って日本に向かう。飛行時間約12時間を要した。
私は眠らなかったが、家内は熟睡していた。何時ころか目を覚ました途端にひと騒動が起きた。私が、水の入ったコップを家内のテーブルの端に置いておいたのがいけなかった。家内が薬を飲もうと手を動かし、水の入ったコップをひっくり返してしまった。水がちょうど股のあたりにこぼれ、まるで寝小便をしたような形になってしまった。こっちは怒鳴られ通しで、やれタオルを持ってこい、座席を替えろ、等々、たまったものではない。客室乗務委員に頼んでみるが、そう都合よくことは運ばない。第一バスタオルのようなものは置いていない、ことが分かった。私も以前パタゴニアへ行く途中、熱湯を臍のあたりにこぼされたことがあり、やけどをした経験がある。機内での処置は限られたもので、辛抱するしかない。湿り気が乾くにつれて家内の機嫌も直り、成田に着く頃には笑顔が戻った。
成田へは定刻より35分早く、4月5日午後2時に無事着陸した。これで3週間にわたる「年寄りの冷や水」と揶揄されそうなオーロラの旅も終わった。
番外編おわり
170409
イエローナイフ旅日記 番外篇
杉浦 久也 さん