第30回歴史・文化探訪の会活動ご報告

 去る5月26日(日)に実施した第30回探訪会「名古屋城と堀川クル−ズ」についてご報告申し上げます。

定刻の午前930分、名古屋城正門前に、特別参加を含め16名が集合し、探訪会を開始。正門を入った所で、
ガイドの名古屋城調査研究センター佐藤公保さんから自己紹介と挨拶の後、総合事務所集会室に案内され、
パンフレットをもとに
10分程名古屋城の概要の説明があった。その後ガイドの案内で城内見学を開始した。
始めに「必勝カヤの木」を見学した。名古屋城が築城されたのは1609(慶長14)だが、その200年前から
生えていた(樹齢
600年)と伝わっている。初代藩主徳川義直が大阪冬の陣への出陣時、その実を食べ初陣を
飾ったことからこの名が付けられた。しかも名古屋大空襲の際、焼夷弾により半分が燃えてしまい枯死寸前
であったが、復活を遂げている。


 次にすぐ近くに展示してある刻印入り石垣石(「た中ちくこ守石」)を見学した。名古屋城の石垣は、
徳川家康から命じられた加藤清正を始め
20名の助役大名たちによって工事が進められ、石に刻印を打って
石垣工事を負担し、延べ
558万人の工事役夫で4カ月余で石垣を完成、土台となる石垣に使われた石の総数は
10
万個から20万個、それらの石は、石崎山・篠島・幡豆(はず)をはじめ、紀伊・讃岐地方から集められた
と言われる。

 その後南西隅櫓の前を通り、さつき展の間を通って、復元された本丸御殿に到着した。日曜日で大勢の見学
者がいたが、比較的早く御殿に入場でき、ガイドの案内で、玄関、表書院、対面所、上洛殿、御膳所等を見学
した。


 本丸御殿は、日本を代表する書院造の建造物で、総面積3,100u、13棟の建物、30を超える部屋からなる。
当初は城主(藩主)が居住する御殿であったが、
1620年(元和6年)将軍上洛時の御成専用とすることになり、
改造された。「表書院」は初代尾張藩主・徳川義直が客と公式に対面する際に使用、「上洛殿」は第三代江戸
幕府将軍・徳川家光が宿泊するために造られ、「対面所」は身内や家臣との私的な対面・宴席に使用された。

  本丸御殿を後に、清正石や木造での復元が計画されている天守閣の雄姿を見ながら、天守閣を一周し、その
石垣と刻印、不明門、旧天守の礎石、「鵜の首」形の堀等を見学した。正門近くに戻り記念撮影をし、名古屋
城見学を終わった。


 正門を出て徒歩10分程で堀川クル−ズの乗船場である朝日橋に到着した。ガイドの佐藤さんも加わり、サム
ライクル−ズを開始した。始めに総会を行い会計報告、役員等が了承され、その後昼食と懇親会を行った。
今回が
30回目となる会の今迄を振り返ったり、堀川沿いの景色を見たりしながら約2時間、楽しく時を過ごし、
14時頃終点のガ−デン埠頭に到着し会を終了した。その後希望者は近くの名古屋ポ-トビル34階の名古屋
海洋博物館を見学、最寄りの地下鉄名古屋港駅から家路に就いた。




                                 歴史・文化探訪の会 幹事さんからお寄せいただきました。

                                                            20190723