岡崎市郷土館【岡崎観光きらり百選 bU4】  場所の地図

 【平成25年2月8日(金):第663号】で紹介した「岡崎信用金庫資料館」の解説にあった郷土館は、資料館から東南方向約1kmの国道1号線沿いにあります。岡崎観光きらり百選の案内看板に、この建物のついて次のような解説がありました。

 大正2(1913)年、額田郡公会堂として建てられたもので、岡崎市に合併後は、市の公会堂として使われていました。昭和44(1969)年、市民会館が建てられてからは、岡崎市郷土館となりました。
 旧商工会議所の建物とともに、当時、西欧文化が建築にも取り入れられたことがわかる貴重な資料となっています。

 郷土館の博物館としての機能は、平成22(2010)年4月から閉館になりました。建物の劣化による傷み及び耐震補強のための保存修理事業に取りかかるための措置だそうです。
 郷土館の北側には、収容人数500人のホール、楽屋、集会室などを持つ、「岡崎市せきれいホール」があり、入口が同じになっています。
 郷土館の前には、文化勲章受章者・岡崎市名誉市民である木村資生(きむらもとお)博士の銅像が建っています。  

郷土館全景 左右に郷土館とせきれいホールの看板がある門柱
            木村資生博士(1924−1994)

 「分子進化の中立説」−遺伝子レベルの進化はダーウィン流の自然淘汰ではなく、偶然の変異の蓄積による「運のいいものが生き残る」という新しい学説。

 大正13(1924)年岡崎市十王町に生まれる。子供の頃から植物が好きだった。根石小学校では、頭ごなしに押さえられるのがいやで学校嫌いになる。ところが5年生のとき今泉先生が担任となり学校生活が一変する。「どんな質問にも熱心に答えてくれる先生との出会いが一生の転機となった。」と語っている。旧制岡崎中学では、理科の鳥沢先生の指導で植物採集に熱中し、植物博士と呼ばれるようになった。また中学時代に数学の面白さも知った。
 旧制第八高等学校(現名古屋大学)に入学、ついで京都帝国大学に進学し、数学を使った遺伝学の理論に興味をもった。昭和24(1949)年国立遺伝学研究所に着任、集団遺伝学の研究を始める。アメリカに留学し、ウィスコンシン大学から博士号を受ける。
 数学を駆使して生物進化を分子レベルの確率過程として取り扱い、「分子進化の中立説」を提唱した。分子生物学の発展により遺伝子構造が次々と解明され、木村学説は確固たるものとなった。分子進化学の創始者とたたえられている。(銅像前の解説文より)
≪平成25(2013)年3月1日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成25年3月3日(日):第686号】