岡崎・糟目犬頭(かすめけんとう)神社【岡崎観光きらり百選 bS5】  場所の地図

 本日は、「岡崎観光きらり百選」bS5に指定されている、変わった名前の神社「糟目犬頭神社」です。境内前にある「きらり百選」の案内板に、次の説明がありました。

 大宝元(701)年に、今の上和田町にあたる糟目というところに建てられたので糟目神社と呼ばれていました。しかし、たびたび洪水にあったため現在地へ移されたと伝えられます。
 境内には、越前鯖江産の凝灰岩の狛犬、唐猫、鳥居などの石造文化財や、本多作左右衛門重次生誕碑、新田義貞の首塚と伝えられる祠があります。また神社にまつわる伝説もいくつか残っています。

 上和田町は、この神社の北方向500mあたりの矢作川添いと思われます。静かな境内に見事な石造文化財がどっしりとすわっていました。犬頭神社にまつわる伝説は、この「神社探訪」というHPに次のように載っていました。

 犬頭神社の由来となった「犬頭伝説」とは
 「上和田の城主・宇都宮泰藤が、鷹狩の道すがら大杉の下で休んでいるうちに、ついつい寝てしまいました。しばらくすると大杉から大蛇が降りてきて今にも泰藤を呑み込もうとしていますが、泰藤は何も気づかず眠り込んでいます。その時、つれてきた白い犬が大蛇を見つけてしきりに吠えたので泰藤は目を覚ましたが、大蛇には気づかずまたまた寝入ってしまいました。でも犬は吠え続けているので、眠りを妨げられ怒った泰藤は刀を抜き犬の首をはねてしまいました。すると犬の首は上へ飛び上がって大蛇ののどに噛付き、大蛇をかみ殺しました。泰藤は驚き、後悔し、暫く茫然としていましたが、忠犬の霊を慰めるため犬頭霊社としてこの宮に葬りました。(「岡崎の観光文化百選とその周辺」より)」というものです。
 上和田の城主・宇都宮泰藤は南朝の忠臣で、延元3(1338)年、足利尊氏が京都で晒しておいた新田義貞の首を密かに奪い、この神社の池中の塚に埋め、その首を隠すため犬頭伝説を流布させ、犬頭霊社を祭ったと伝えられています。又、約2km程南の下和田町「犬尾神社」 にはこの犬の尾を祀って弔ったという伝承が残っています。

神社参道 神社拝殿 新田義貞の首塚
左側の狛犬 右側の狛犬 本多作左右衛門重次生誕碑
≪平成25(2013)年2月18日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年2月19日(水):第1039号】