岡崎・鹿勝川(かかつがわ)の庚申堂【岡崎観光きらり百選 bS】  場所の地図

 岡崎市の東部にある額田地区に、「鹿勝川の庚申堂」が「岡崎観光きらり百選」の一つに指定されています。前回、額田地区に行った際に住所をたよりにさがしましたが見つけることができませんでした。今回、地図をたよりにそれらしき所を訪ねた所、目的の場所にたどりつくことができました。庚申堂の入り口には、「岡崎観光きらり百選」に指定されている標識が目立つようにたっていました。お堂の前に、この庚申堂と国指定文化財の説明を下記に示します。
 集落のはずれにひっそりと建つ庚申堂ですが、地域の人たちがきちんと管理されているようで、堂の内外ともきれいになっていました。堂の中央に御本尊青面金剛童子の厨子、そして左右に兜跋毘沙門天立像が安置されており、たいへん厳かな空気が堂内にたちこめていました。

庚申堂

 ここの庚申堂の御本尊青面金剛童子は、行基菩薩の作と伝えられています。
 男川の渕の猿堂渕猿岩と呼ばれていた岩の上の厨子に安置されていたものを、慶長年間(江戸時代の初期)、ここに堂を建てて移したといわれています。
 青面金剛童子は、インドの神にて、霊験あらたかな神といわれています。青面金剛童子を庚申様と称するのは、日本に伝えられたのが庚申の日であったからとも伝えられ、庚申様のおまつりは江戸時代以降に盛んになりました。
 なお、この庚申堂には江戸時代の末、渥美の歌人糟谷磯丸翁が、一時住んでいました。ここを足場にしてあちらこちらで病気平癒や虫封じの歌、古事にちなんだ歌等を詠んだそうです。

国指定重要文化財 庚申堂
彫刻 木造兜跋毘沙門天立像(もくぞうとばつびしゃもんてんりゅうぞう) 二躯

 両像とも兜跋毘沙門天と呼ばれる立像で、庚申堂内に安置されている。毘沙門天は四天王のうち、北方の守護神である多聞天の別称で、通常四天王がそろっているときは多聞天、単独のときは毘沙門天と呼ばれる。兜跋毘沙門天は、毘沙門天の異形で、西域の兜跋国(トルファンあるいはチベットなど諸説がある)に現れたと伝えられ、王城守護の役割を持つ。平安時代には、外敵から国を守るという意味で、九州や東北地方でもさかんに製作された。
 二躯とも頭から足元の地天女までの主要部は桧材の一本造で、頭に宝冠をのせ、すその長い体に密着した鎧を身につけ、眼は彫眼となっている。二躯のうち一躯は腹部に大ぶりの獅噛(しがみ)をつけ、腹巻状の帯をつける点で他の一躯と区別される。両像とも本来両手に持つべき宝塔や戟(げき)は失われており、また当初は彩色が施されていたと思われる。両像がどのような経緯で伝えられたかは、確実な史料がなく明らかではないが、平安時代前期の作例として貴重である。
  総高  196.5cm  像高  172.3cm
  総高  184.7cm  像高  158.6cm
     平成14(2002)年6月26日指定   岡崎市教育委員会

庚申堂全景 堂内一望 本尊青面金剛童子が入る厨子
「岡崎観光きらり百選」指定の標識  堂左手に安置されている兜跋毘沙門天立像 堂右手に安置されている兜跋毘沙門天立像
≪平成26(2013)年2月23日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年2月25日(火):第1045号】