岡崎・中世城址【岡崎観光きらり百選 bP0】

 幾度となく繰り広げられた戦の舞台となった市内の城址5ヶ所が、岡崎観光きらり百選に指定されています。最初の城址に平成24(2012)年1月に訪れ、先日やっと5ヶ所の城址に訪れることができました。それぞれの史跡にあった解説文も併記します。


 山中城址  場所の地図
 岡崎市東部の山中地区にあり、国道1号線から南西方向1kmの所に城址入口があります。城址がある山頂までは、きちんと整備されており、ゆっくり歩いて20分ほどでつきます。山頂は、それなりの広さがあり、城址を示す石碑や曲輪の説明看板がたっています。山頂ですが、林になっており眺望はききません。

岡崎市指定文化財 史跡 山中城跡 565u
 岡崎城主西郷信貞の居城であったが、大永4(1524)年安祥に居城していた松平清康の奇襲を受け一夜にして落城した。その結果、信貞は清康に屈し、岡崎城をも明け渡すこととなった。
 この城址は、標高196mの山頂を中心に主郭を中心として、東、東北、西北に延びる尾、根筋に郭を重ねた連郭式の遺構を残す県下最大級の規模をもつ山城である。現在残されている山城の中でも、その遺構を良く残しており、貴重な史跡といえる。

整備された遊歩道と案内表示 主曲輪跡地に建てられた城址を示す石碑 主曲輪跡地から二の郭跡地を臨む
≪平成26(2014)年2月23日撮影≫


 日近(ひぢか)城址  場所の地図
 岡崎市北東部の桜形地区にあり、城址は奥平家の墓所がある曹洞宗深思山広祥院の裏手にあります。城址までの遊歩道はきちんと整備されており、ゆっくり歩いて20分ほどです。城址は広場になっており、城址を示す説明看板があります。ここも林になっており眺望はききません。

日近城の歴史
 日近城は標高270m、比高70mの尾根の先端に築かれ、守りを意識した山城で、砦、詰城として利用した。広祥院由緒書によれば、奥平氏三代目貞昌が文明10(1478)年日近に進出し、広祥院を中興したとある。日近城はこの時期に築城された。
 奥平氏は14世紀の後半から作手に本拠地を構え、周辺に勢力の拡大を図ってきた国人領主である。貞昌は次男貞直を日近に配し、日近奥平家の初代とした。貞直は当時三河に勢力を得ていた今川氏についていたが、弘治2(1556)年離反して織田氏に与したことから日近合戦となった。この時は今川方の軍をよく防ぎ戦果をあげた。しかし、半年後の雨山合戦で今川軍に負けた本多作手の4代目貞勝により、貞直は放逐させられた。その後、日近は本家の支配となり、天正18(1590)年関東移封による廃城まで続く。約100年間の事である。

城址入口にある広祥院の本堂 整備された遊歩道 日近城址
≪平成24(2012)年3月26日撮影≫


 岩津城址  場所の地図
 岩津天満宮のすぐ西側に岩津城址があります。道路に面した小高い丘が城址になります。狭い小径をあがっていくと、いくつかの地蔵様が私を迎えてくれました。他の城址のようにきちんと整備はされていないようです。

岩津城址 岡崎観光協会HPより
 築城については、松平二代泰親が応永28年(1421)に加茂郡松平郷から岩津に進出を果たしたことに始まるといわれていますが、泰親が城山に城を築いたという確証は何もないが、泰親の跡をついだ三代信光は、岩津を本拠として、大給、保久を攻め取るなどしだいに勢力を西三河平野部に広げていきました。それからするとこの時代には、築城(城郭といえる程のものではないにしても)されていたと思われます。なお、最近の調査によると、山城跡は戦国時代の様相を示すすぐれた縄張構成をもつ城郭で、中世城郭のほとんどすべての要素が揃っている重要な遺構です。

≪平成24(2012)年1月17日撮影≫


 岡城址  場所の地図
 岡崎市美合地区にあり、国道1号線から西へ500m、近くを流れる乙川のすぐ西側です。平城のようで、城址のあった所は広い竹林になっていました。

岡崎観光文化百選 岡城址
 池野大学によって築かれた城で、西三河を平定した後、家康は河合勘解由左衛門にここを守らせました。
 三河名勝志の「御殿址」の項に次のように書かれています。「岡村西より二町余り過ぎて、一の木戸門あり。小径数百歩、両側皆竹林なり。大手門の跡とおぼしき所、左右に土手、空堀あり。これより内方一町ばかり平衍にして樹竹なく、草野の如し。西より南へ廻り、土手、空堀あり。・・・・・・云々」。

≪平成25(2013)年3月29日撮影≫


 姫ヶ城址  場所の地図
 岡崎市美合地区の保母町にあり、城址入口には、浄土宗西山深草派保母山胎蔵寺があります。近くを東名高速道路が通っています。胎蔵寺境内を通って遊歩道が整備されており、ゆっくり歩いて15分ほどで城址である山頂につきます。山頂には城址を示す石碑が建っています。他の城址と異なり、ここは西側が開いており、美しい眺望を見ることができます。

岡崎観光文化百選 姫ヶ城址
 大江定基が三河国司として数年間在地したと伝えられます。また保母松平氏の居城ともなりました。
 山頂に「史蹟姫ヶ城址」の碑を残すだけですが、定基の悲恋や、松平氏発展の歴史を偲びながら眺める景観には、素晴らしいものがあります。

城址入口にある胎蔵寺の本堂 姫ヶ城址を示す石標 城址からの眺望
≪平成26(2014)年2月18日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年2月26日(水):第1046号】