岡崎・古代の遺跡群【岡崎観光きらり百選 bW】

 岡崎市内にある、縄文時代の遺跡や飛鳥時代の寺跡など古代の遺跡群5ヶ所が、岡崎観光きらり百選に指定されています。最初の遺跡に平成23(2011)年6月に訪れ、先日やっと5ヶ所の遺跡を訪れることができました。実に3年かかりました。それぞれの史跡にあった解説文も併記します。


 真宮遺跡  場所の地図
 岡崎市六名地区にあり、矢作川をのぞむ段丘上にあります。住宅街の中にあり、よく整備された広大な遺跡です。

 昭和48(1973)年12月、区画整理工事中に土器片が発見されたのが端緒となり、同49(1974)年1月に調査を開始されました。発掘の結果、縄文時代晩期から平安時代に至る住居跡や墓などを含む、東海地方最大の遺跡であることが判明しました。多数の甕棺が一度に発掘されたことや、長期に渡る遺跡が重なって発掘されたことは、全国的にも例が少ないと言われています。出土品は市の郷土館に保管、展示されています。

真宮遺跡入口 縄文時代の平地住居跡(周堤を残す) 縄文時代の平地住居跡
弥生時代から古墳時代に造られた方形周溝墓 古墳時代の竪穴住居跡 平安時代の竪穴住居跡
≪平成24(2012)年3月8日撮影≫


 北野廃寺跡  場所の地図
 岡崎市西部の北野地区にあり、現在は北野公園として整備されています。

 遺構から、寺は、塔、金堂、講堂、中門、南大門、僧房が南北一直線に並ぶ、飛鳥時代後期の四天王寺式の壮大な建築であったことがわかります。礎石に残る心柱の直径などから、塔の高さは30mに及んだと思われています。境内の広さは、東西126.5m、南北146mという広大なまおので、寺跡は史跡公園として整備されました。

北野公園全景 北野廃寺跡の石標 公園でやすらぐ市民
金堂跡 塔跡 中門跡
≪平成23(2011)年6月9日撮影≫


 丸山古墳  場所の地図
 岡崎市中央部の丸山町にあり、東名高速道路のすぐ南側です。近くに神明宮という神社があり、神明宮古墳とも呼ばれています。

 丸山町の乙川右岸の低位段丘上に立地する、古墳時代後期(6世紀後半)に築かれた円墳。墳丘は東側が倒れているが、現状では直径19m、高さ2.7mで、西三河最大の横穴式石室である。丸山町一帯を支配していた人物の墓と考えられる。

≪平成25(2013)年3月29日撮影≫


 岩津古墳群  場所の地図
 岡崎市北部の岩津地区にあり、有名な岩津天満宮【第276号参照】から西へ500mほどの所にあります。住宅街の一角で、少々みつけにくい場所になっています。

 東には小高い山々が連なり、西には矢作川が流れ、生活しやすい条件にめぐまれてきたこの地域には、古代から文化が開け、台地のはしにいくつかの村ができていたことが岩津1号古墳を始めとする古墳群や於御所(おごそ)遺跡などからわかります。この地方の豪族が葬られていたとされる岩津1号墳からは、約100点の副葬品が発掘され、市の郷土館に保管・展示されています。

≪平成24(2012)年5月10日撮影≫


 八面石塔  場所の地図
 岡崎市東部額田地区の山中にある切越(きりこし)という集落にあります。切越地区は、わずか5軒ほどの山中の集落で、現在ほとんど人は住んでいないとのことですが、住宅の持ち主が常に来ている感じで、住宅周りはきちんと整備されており、野菜なども栽培されていました。桜井寺【第879号参照】から北へ約5qほどとやや距離があります。桜井寺を過ぎてからの道路は車がやっと1台通れるほどの幅です。ここへ行くための方法を調べたのですが、車で行くことができるという情報がないため、今まで行くことを躊躇していましたが、今回、恐る恐る車で出かけました。なんとか行きつききましたが、これから出かける人は、なるべく小さな車で行くことを勧めます。道路の終点で降りると、左矢印の標識があり、その坂道を300m程登ったところに目的とする八面石塔があります。

 この辺りには、その昔平家の落武者が隠れ住んだという伝説があります。八面石塔は平氏一門の流れを受け継ぐ本間一族の墓と言われ、鎌倉初期の構造とされています。八基が現存していますが、第一層には自然石に手を加えた本尊を納め、二層以上は丸味を帯びた花崗岩の上に板状の石を置き、最上部に長めの石を立て相輪(そうりん)と見なしています。この形式を用いるのは特権階級に限られるため、本間一族の地位の高さが分かります。

八面石塔全景
8つの石塔アップ
≪平成26(2014)年10月11日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年10月13日(月):第1275号】