馬防柵  場所の地図

 昨日の信玄塚に続いて、本日は馬防柵を紹介します。
 馬防柵は、資料館の北側に再現されています。
 天正3(1575)年の設楽原の戦いで、武田軍と織田・徳川連合軍の総勢5万人を超える兵士たちが戦いました。当時、無敵を誇っていた武田軍の騎馬隊に対抗するために、連合軍は「火縄銃」の鉄砲隊と「馬防柵」という戦術で応戦し、圧倒的な強さで短期間の内に武田軍を打ち破りました。

 また、この再現された馬防柵の中に、「土屋右衛門尉昌次戦死之地」の記念碑があります。
 土屋昌次は、武田軍の武将で、馬防柵に攻めあぐんでいたとき、突破口を開くために単騎で乗り込み、鉄砲隊の集中攻撃を受けて落命しました。31歳の若さだったということです。

再現された馬防柵 馬防柵のいろはかるた
馬防柵の看板 「土屋昌次戦死之地」の石碑 土屋昌次に関するいろはかるた
≪平成23(2011)年9月2日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成23年9月9日(金):第145号】