新城・勝楽寺  場所の地図

 新城市川路地区は「設楽原の戦い」の激戦地です。その激戦地であった一角に曹洞宗の寺院である聖堂山勝楽寺があります。当然、「設楽原の戦い」とゆかりのある寺院で、寺院の入り口には、「設楽原戦没者霊場」の石標が建っています。「勝楽寺」という寺号は、古くは松楽寺と称していたそうですが、長篠の戦いが終わった天正3(1575)年5月22日に織田信長と徳川家康が当寺に立ち寄り、戦勝の祝杯を上げ、勝ち戦とあって寺号「松」の一字を「勝」に改めたとのことです。勝楽寺の北側国道沿いに、「ねんごろに まつりたやさぬ 勝楽寺」の設楽原古戦場いろはかるたが建っています。

 また、勝楽寺の南方は、設楽原の最南端に位置する田園地帯で、設楽原の戦いにおいて、勝楽寺前激戦地として戦いが繰り広げられた所です。この地は、馬防柵が無く、武田軍の山県昌景隊が突こうとしましたが、徳川軍の大久保忠世・忠佐兄弟がこれを迎え撃ち激戦となりました。勝楽寺の200mほど南側に、勝楽寺前激戦地というタイトルで「京めざす 武田の雄図 今悲し」の設楽原古戦場いろはかるたが建っています。

勝楽寺と設楽原戦没者霊場の石標 山門
本堂 「ねんごろに・・」」の設楽原古戦場いろはかるた
現在の勝楽寺前激戦地 「京めざす・・」」の設楽原古戦場いろはかるた
≪平成26(2014)年12月19日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年12月25日(木):第1348号】