原隼人佐昌胤の墓  場所の地図

 新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。信玄塚【第144号】から南へ100mほどのところにあります。原昌胤(まさたね)は父の跡を継ぎ、陣場奉行を勤めており、設楽原の戦いにおいて、武田勝頼に撤退を進言しましたが聞き入れられませんでした。そのため、内藤昌豊らと共に徳川本隊を目指して攻撃しましたが、敵の銃弾を浴びて討死にしました。昌胤は、平時は優れた土木技術者として治水工事で大きな業績を残しているとのことで、そのことが、古戦場いろはかるたに記されています。

いろはかるたと中央の遠くに見えるのが墓 原昌胤の墓 設楽原古戦場いろはかるた
≪平成27(2015)年2月28日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年3月24日(火):第1437号】