天王山陣所・武田勝頼公指揮の地  場所の地図

 新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。設楽原歴史資料館【第58号】から北へ200mのところ、市立東郷中こども園のすぐ北側にあります。
 
 設楽原の戦いにおいて、内藤昌豊の本陣があった所で、武田勝頼が戦中に自らここへ陣を移し、昌豊と共に指揮をとったところといわれています。
 大きな築山があり、その前に、牧野文斎氏に関する古戦場いろはかるたがたっています。牧野氏は、明治元(1868)年生まれで、私立信玄病院初代院長として医業の傍ら、長篠・設楽原古戦場の史蹟保存の活動を進めてこられた地元の名士です。
 この築山の左側に、3つ史跡があります。最初は、内藤昌豊の墓です。内藤昌豊は武田24将の一人で、ここ天王山に陣を張り、1500の兵を率いてで織田・徳川連合軍と激戦を繰り返すましたが、その後武田方は劣勢となり、最後はここで戦死しました。
 次に、「横田備中守綱松の墓」です。横田綱松は、親子4人で出陣し、全員がこの設楽原で討死にし悲運の戦士です。。長男は三方原の戦いで戦死し、残された五男が、有海に父の塚を立てた跡があるとのことです。
 最後は、「武田勝頼公指揮の地」の石碑です。この石碑は、平成5年に、勝頼の故郷である山梨県東山梨郡大和村の「武田勝頼公顕彰会」が建立したものです。

築山全景 築山内にある石碑 牧野文斎氏に関する古戦場いろはかるた
「内藤昌豊の墓」遠景 「内藤昌豊の墓」遠景 右側「馬場美濃守信房之墓」
横田備中守綱松の墓 「武田勝頼公指揮の地」遠景 「武田勝頼公指揮の地」石碑近景
≪平成27(2015)年2月28日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年3月31日(火):第1444号】