鳶ヶ巣奇襲隊進路 松山越  場所の地図

 新城市内にある長篠の戦いや設楽原の戦いにまつわる多くの史跡の一つです。多くのいろはかるたからやや離れた吉川地区にあります。
 いろはかるたの隣に次の説明がありました。

 天正3(1575)年、長篠の戦い設楽原決戦の前夜、信長の命をうけた酒井忠次は3千人の兵で豊川を渡り、この吉川から松山峠を越えて長篠城の背後迄迂回し、武田軍の拠る鳶ヶ巣山を攻撃した。この作戦は、織田・徳川連合軍大勝の起因となったといわれる。
  昭和57(1982)年3月30日 新城市教育委員会

 鳶ヶ巣奇襲隊の進んだ道筋は、川路の広瀬(広瀬の渡)で豊川を渡り、塩沢から吉川に抜け、豊川沿いの舟着山を南に避ける大迂回作戦でした。常寒山の山腹を経て鳶ヶ巣に至る杣道は、土地の者でなければ見当もつきません。当時、吉川在住の豊田藤助が吉川から先導したといわれ、いくつもの険しい峠と谷をつなぐ難路の道案内は地元の藤助なしでは不可能でした。(HPきらっと奥三河観光ナビより)

鳶ヶ巣奇襲隊進路遠景 船着山(松山越)への矢印 設楽原古戦場いろはかるた
≪平成27(2015)年10月12日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年10月14日(水):第1641号】