平安時代、紫式部、清少納言も漢籍に精通していたが、彼女らの著作の中に論語は登場しない。
 儒家の思想は、男尊女卑の思想、仁の思想、礼の思想、義の思想、孝、忠の思想、易の思想、家父長制の思想、為政者の思想、統治、専制の思想、革命思想等、多種にわたる。
 それぞれの時代の為政者は論語を警戒した。そこに革命思想が盛り込まれていたからだ。
 しかし、近世に入り徳川幕府は儒学(論語)を正学とした。論語の思想の中の「専制の思想、統治の思想」を基とする林羅山等の朱子学を取りあげ、正学としたのである。
 やがて、論語は各藩に広がり、全国の寺子屋でも論語を教えるようになった。
 明治に入り、全国で五万校ある尋常小学校で、まっ先に論語を取りあげ、「仁、義、礼、智、信、恕、忠、孝」等の徳目を教えた。
 その後、旧制中学、旧制高等学校でも論語が必修であった。現代でも古典の中で論語は相当のスペースをとっているのである。
 この論文は、以上の内容を詳細に論じたものである。