9時30分頃知立駅前に13名が集合し探訪会をスタ−ト。出欠確認等の後、地元の鈴木渉先生の案内で明治用水(明治14年完成、豊田市水源町から矢作川の水を引き、安城市を中心に矢作川右岸約6000haを灌漑、現在は菅水路化され地下を流れる)沿いに歩き、10分程で知立市歴史民俗資料館に到着。

 女性学芸員から知立の歴史(池鯉鮒(現知立)は古代から近傍20余村の氏子が信仰する格式の高い知立神社を氏神として城砦を構え、馬市・木綿市の開かれる農村だったが、関ヶ原の合戦の翌年、東海道の江戸から39番目の宿駅として発足し宿場町の活動を開始)等の説明を受け、池鯉鮒宿の復元模型やジオラマなど館内を約30分ほど見学。

 資料館を後に、タクシ−に分乗し、すぐ弘法山遍照院(三河三弘法の一番札所)に到着。ご住職の説明・案内で、本尊の見返り弘法大師像など拝観し、戒壇巡り(真の暗闇)を体験、四国巡礼88カ所の本尊(絵)参りもする。

 その後近くの鰻屋へ移動、昼食・総会を行う。総会では平成21年度会計報告並びに22年度役員が了承された。昼食後遍照院門前で記念撮影、タクシ−に分乗し、旧東海道松並木(約500mに渡って170本の松が残るが、多くは伊勢湾台風(昭和34年)以降に植えられたもので、古木は少ない。この西の地名が「曳馬野」(702年持統天皇の三河行幸の地とも推定されている))を通り、10分ほどで「根上りの松(市指定文化財)」に到着。

 ここからボランティアガイドの平沢盛久さんの案内・説明で見学を開始。まず、来た道を少し戻り名鉄三河線の線路を渡った所で、「八橋」のあった辺りを見る。平安の頃この付近一帯は逢妻川の乱流の洲で、旅人の難儀から八つの橋が架けられた、またその沢には杜若が咲き乱れていたという。伊勢物語の第九段、東下りの中で、在原業平が都を偲んで詠んだ「かきつばたの歌」の場所としても有名。(かきつばたはご存知のように愛知県の花です)

 続いて、すぐ近くの在原業平墳墓伝承地(丘の上に業平の菩提を弔うため築かれた供養塔があった、いぼ神様としても信仰されていたと云う)を見学し、「根上りの松」に戻る。樹齢600年余、洪水で根が洗われこのような姿になった。安藤広重の浮世絵「東海道名所図絵」のモデルと云われる。松の根本に「鎌倉街道(京都と鎌倉を結ぶ街道、源頼朝が幕府を開いた頃整備)の跡」の碑があり、背面に阿仏尼の「十六夜日記」の一説が刻まれている。

 続いて徒歩ですぐ在原寺へ。業平塚を守る人の御堂として創建。門前の杜若の紫が美しかった。本堂に上がりお参り、業平の立像も拝観。庭には葉の形が珍しい金魚椿が植えら、義玄・山頭火の句碑もあった。在原寺を後に、ガイドの平沢さんの隣家の庭に案内され、「あやめ」を鑑賞、「杜若」との違いを教えて頂く。その後、浄教寺の「かんぬきのない山門」を通り、無量寿寺へ向かう。

 名称八橋の中心となる寺、奈良時代の創立。江戸時代の文化・文政の頃再建され、絶えかかっていた杜若を移植し杜若庭園がこのとき完成。境内の八橋史跡保存館を見学後、京都の名菓「八ツ橋」(八橋伝説(子供の供養のために架けた)に因んでいると云う)をおみやげに買い、30分ほど本堂や満開の杜若庭園等を各自散策。最後に記念撮影をし、少々疲れ気味の足を引きずりながら八つ橋駅に向かい15時頃解散した。


第12回

歴史・文化探訪の会

ご報告

旧池鯉鮒の宿近辺(歴史民俗資料館)

 5月15日()に実施した第12回探訪会「知立の名所旧跡」並びに平成22年度総会について、報告します。

  当日は、絶好の探訪会日和となり、五月晴れの中、最後は少々疲れ気味となりましたが、充実した一日を送ることができました。

八橋伝説地碑(業平塚の下)

在原寺門前

無量寿寺 杜若庭園

幹事 清水 國光 さんからお寄せいただきました。



220614



根上がりの松 

弘法山遍照院