帳合之法 現代語譯  書評 

 先に、水野 昭彦さんの「福澤 諭吉訳 帳合の法 現代語訳」についてご紹介しましたが、

今回、さらに久留米の江頭先生から同著についての書評をいただきましたので、ご紹介します。

         水野昭彦著『福澤諭吉譯 

        帳合之法 全四巻現代語譯』書評 


福澤諭吉翁は、明治66月『帳合之法 初編』、翌年6月『帳合之法 二編』合計四巻を慶應義塾出

版局から出版した。本書は、福澤諭吉譯『帳合之法』全四巻(二版)の現代語譯(以下『現代語譯』とす

る)である。


 『帳合之法』は、『福澤諭吉全集 第3巻』等に収録されている。『福澤諭吉全集 第3巻』は、原本

に比べて多少読みやすいが戦後生まれの読者には不便である。この不便を解消した『現代語譯』は、戦後

生まれのわれわれにとって『帳合之法』を身近になった。

 黒澤清先生は、『職業会計人の実践哲学―福沢諭吉の「学問すすめ」と「帳合之法」の研究』(TKC

版,
1986)において、「『帳合之法』と『学問のすすめ』は、不可分の作品であり、その内面的関係を

閑却しては、そのいずれをも正しく理解できない」と主張されている(P.
4)。

この『現代語譯』によって、『学問のすすめ』(現代語版は出版されている)の理解度は高まることにな

るであろう。

 水野昭彦氏は、この『現代語譯』出版の動機のひとつに、商業科教員としてのブラッシュ・アップの必

要性を挙げられる。このことは、同氏が
30年を超す商業科の教員として、また、商業高校の校長の経験

からの実感だろう。氏の含蓄のある指摘である。現在の商業科教員による商業教育は、
HOW TOに傾注

した観を否めない。同氏は、商業教育を「人づくり」の観点から力説される。

この商業教育の「人づくり」の観点については、筆者の考えと異とするところであるが、

福澤翁が目指した「実学」の啓蒙において理解できる。つまり、福澤翁がいう「実学」

とは、学問を日常生活や実社会に役に立てることである。


 『帳合之法』の原書名は、アメリカの簿記書 Bryant & Stratton’s Common

School Book-keeping,1871である。同書はBryant & Stratton’s  Book-keeping Series 3册

の中の1册である。他の2册は、
National  Book-keeping1860Counting 

House Book-keeping,1863
である。

本シリーズの編集者は、Henry  Beadman  Bryant18241892),Henry Dwight Stratton

18241867),Silas  Sadler Packard18261898)である。『帳合之法』は、初編二册と

二編二册の四册である。初編二册は、略式(単式)帳合である。二編二册は本式(複式)帳合である。

初編二册は、原書の
SETT〜Wまですべて翻訳されている。二編二册は、内容と分量を理由に原書のSET

T〜Uまでを翻訳 されている。二編の未翻訳部分は、SETVと、SETWである。

福澤翁の『帳合之法』翻訳の工夫については先行研究に譲るが、『現代語譯』はさらに註釈を付して理解

を助けるための配慮がなされている。原書
Bryant & Stratton’s Commonol Book-keeping,1871は、洋学堂書

店(佐賀市)から複刻版が出版されている。『現代語譯』は、原書を理解する上でも大変役に立つ。

例えば、原書では
Balance Sheetが貸借対照表(この用語は明治23年商法用語)ではないことや決算に

おいて残高勘定を使用することなどがわかる。(ただし仕訳帳に仕訳をせずに赤記(残高や損益)して締

め切る方法である。)

 以上のように、『現代語譯』は、会計学界への貢献のみならず、商業科教員の座右の書として加えられ

る良書である。

               久留米市立久留米商業高等学校教諭 江頭 彰


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