今回の旅行は降って湧いたようなことから始まった。孫娘
(20歳、大学2年)がパリへ行きたいと言い出し、家内に
付き添いの依頼が来た。家内が独りでは自信がないとの理由で、
私を同行させることにしてしまった。
おかげでこの数か月、頭の重い日々を送った。大事な孫娘に
何かあったら、と心配であった。
CDつきのフランス語会話の本
を求め、泥縄式に練習をしたが、覚えるより忘れる方がはやいく
らいで、心もとないことと言ったらなかった。


そうこうするうちに、出発の日を迎えた。



23日(木)安城、大阪、晴れ

1530 大阪国際空港(伊丹)で孫娘と合流。
羽田経由で成田空港へ。ここで1泊し、明日の出発に備える。


24日(金)成田、晴れ/パリ曇り

800 ホテル連絡バスで成田空港第2ターミナルへ。宅急便
で送っておいた荷物を受け取り、
JALカウンターでチェック
イン。プレミアム・エコノミーを息子が手配しておいてくれ
たおかげで、日航のラウンジを利用することができた。
赤ワインで前途を祝し、一人で乾杯した。


1130離陸。パリまで12時間の飛行が始まる。太陽を追いかけ
る形で、日没を見ることはない。シベリア、北欧上空を飛び、
パリに直行する。

パリ現地時間(日本との時差8時間)1530パリ郊外にある
シャルル・ド・ゴール空港に着陸。われわれの手荷物がなかな
か出てこず、結局最後になってしまった。手荷物には青い

priority
(優先)の札がつけられていたが、何の効果もなかった
ようだ。

タクシーでホテルに向かう。覚えたてのフランス語で “Hilton
Arc de Triomphe Paris Hôtel, s’il vous plaît”
と言いながら、
念のためにホテルの住所を書いた紙きれを見せる。何とか通じ
たようで、タクシーは勢いよく走りだした。
30分ほどでホテル
に着く。すぐチェックイン。息子が一部屋
3人宿泊ということ
で予約し、宿泊料も彼のマイレージでカバーされていた筈だっ
た。ところが
12泊分の追加料金として80ユーロを請求され、
不審におもったが支払いに応じ署名した。


部屋へ入るとお茶、コーヒーの用意がない、と家内がクレーム
をつける。さっそく持ってくるようにフロントへ電話する。

 夕食は、ホテル内にあるLe Safranというレストランで摂る。
牛の頬肉をワインで煮た料理を食べる。柔らかくて、なかなか
うまい。


25日(土)パリ、曇り

630孫娘を伴い、外に出る。まだ暗い。昨日チェックインで
確認したところ、朝食は宿泊代に含まれておらず、一人
30ユー
ロかかる、という。そこで近くのミドレ(
Midoré)というパン
屋を教えてもらい、バゲットのサンドウィッチでも調達し、
部屋でゆっくり食べようと考えた。歩道には湯気の立つような
犬の糞が落ちている。一つ目の角に、浮浪者が毛布をかぶって
寝ていた。そのわきには白黒の斑のある犬が、飼い主同様熟睡
していた。

パン屋のシャッターが半分上がっていた。かがみこんで中を
覗くと女主人がガラスケースにパンを運んでいる最中だった。
開店はまだかと尋ねると、あと
10分待てとの返事。散歩を兼ね、
あたりを歩く。道の反対側をホテルの方へ引き返すと、見上げ
るような鉄格子の堂々たる門がある。一部金箔が塗られている。
何か由緒ありげである。通用門が開いていたので中へ入ると、
向こうから小型犬をつれた老婦人が来た。ここはどういう場所で
すかと、尋ねると「モンソー公園です」との答え。さらに歩を進
めると第
2の鉄柵があり、固く閉じられていて、それ以上進めない。
この公園は
1769年、フィリップ・ド・オルレアン公が作り始めた
庭園で、
12ヘクタールもあるそうだ。

 パン屋を覗くと、すっかり準備ができ、一人二人と近所の人々が
パンを買いにやって来ていた。フランス旅行の楽しみの一つが、
固いバゲットをかじることである。孫にもぜひこれを味あわせた
いと思い、チーズ、ハムなどを挟んだ
30センチくらいのサンド
ウィッチを
3本作らせた。そのほか、丸型の固いパンも数個求めた。
女主人は、こちらが分かろうが分かるまいが頓着せず、機関銃の
ようにフランス語でまくし立てる。何とか勘定を済ませ店を出る。
全部で
15ユーロくらいであった。ホテルの朝食1人前の半額で、
3人が十分食べられる。

コーヒーを沸かし、パンを味わう。噛めば噛むほど味が出るのが、
フランスパンのよいところだ。


830 ホテルを出る。メトロ2番線のクールセル(Courcelles)駅
でカルネ(回数券
10枚で12ユーロ、もし単独で1枚ずつ買えば、
10枚で17ユーロかかる。つまりカルネを使えば5ユーロ儲かる仕組みだ)
を自動券売機で買う。どうやっていいか戸惑っていたが、はたで見
ていた孫が手際よく操作し、難なく買うことができた。これでは
どっちが付き添いか分からない。


2つ目のシャルル・ド・ゴール・エトワール駅(Charles de Gaulle Étoile
で、メトロ
1番線に乗り換え、6つ目の駅パレ・ロワイヤル(Palais
Royal
)ルーブル美術館前駅で下車。

900開館を控え、すでに大勢が切符売り場付近に集まっていた。
後でわかったことだが、美術館、博物館、大聖堂などへの入場には厳し
い所持品検査が行われている。私は、たまたまスイス・アーミーナイフ
をパン切りように持っていたので、一時取り上げられ、帰りに戻して
もらうことになった。

   

               ルーブル美術館中庭

       

             ハムラビ法典の刻まれた石柱


    
ミロのビーナス、モナリザをはじめハムラビ法典の刻まれた石柱に至
るまで、館内地図を頼りに歩きながら、見学した。館内の店でサーモン
やチキンを挟んだサンドウィッチを買い、昼食とする。


セーヌ川右岸をシテ島目指して歩く。足が痛くなってきた。もう少し
大きめの靴にすべきであった。アルコル橋
(Pont d’Arcole)を渡りノート
ルダム大聖堂
(Cathédrale Notre-Dame de Paris) 前に出る。さっそく堂
内を見学する。曇っていたために、有名なステンドグラスの色彩が今
一つ物足りなかったが、それでも見応えがあった。堂内の見学を終え
て、屋上へも上がろうとしたが、順番待ちの行列の長さに驚き、屋上
見学は取りやめにした。

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230217

フランス旅日記

201123日~211日)

その1

杉浦 久也 さん