今回の旅行は降って湧いたようなことから始まった。孫娘
(20歳、大学2年)がパリへ行きたいと言い出し、家内に
付き添いの依頼が来た。家内が独りでは自信がないとの理由で、
私を同行させることにしてしまった。
おかげでこの数か月、頭の重い日々を送った。大事な孫娘に
何かあったら、と心配であった。CDつきのフランス語会話の本
を求め、泥縄式に練習をしたが、覚えるより忘れる方がはやいく
らいで、心もとないことと言ったらなかった。
そうこうするうちに、出発の日を迎えた。
2月3日(木)安城、大阪、晴れ
15:30 大阪国際空港(伊丹)で孫娘と合流。
羽田経由で成田空港へ。ここで1泊し、明日の出発に備える。
2月4日(金)成田、晴れ/パリ曇り
8:00 ホテル連絡バスで成田空港第2ターミナルへ。宅急便
で送っておいた荷物を受け取り、JALカウンターでチェック
イン。プレミアム・エコノミーを息子が手配しておいてくれ
たおかげで、日航のラウンジを利用することができた。
赤ワインで前途を祝し、一人で乾杯した。
11:30離陸。パリまで12時間の飛行が始まる。太陽を追いかけ
る形で、日没を見ることはない。シベリア、北欧上空を飛び、
パリに直行する。
パリ現地時間(日本との時差8時間)15:30パリ郊外にある
シャルル・ド・ゴール空港に着陸。われわれの手荷物がなかな
か出てこず、結局最後になってしまった。手荷物には青い
priority(優先)の札がつけられていたが、何の効果もなかった
ようだ。
タクシーでホテルに向かう。覚えたてのフランス語で “Hilton
Arc de Triomphe Paris Hôtel, s’il vous
plaît”と言いながら、
念のためにホテルの住所を書いた紙きれを見せる。何とか通じ
たようで、タクシーは勢いよく走りだした。30分ほどでホテル
に着く。すぐチェックイン。息子が一部屋3人宿泊ということ
で予約し、宿泊料も彼のマイレージでカバーされていた筈だっ
た。ところが1人2泊分の追加料金として80ユーロを請求され、
不審におもったが支払いに応じ署名した。
部屋へ入るとお茶、コーヒーの用意がない、と家内がクレーム
をつける。さっそく持ってくるようにフロントへ電話する。
夕食は、ホテル内にあるLe Safranというレストランで摂る。
牛の頬肉をワインで煮た料理を食べる。柔らかくて、なかなか
うまい。
2月5日(土)パリ、曇り
6:30孫娘を伴い、外に出る。まだ暗い。昨日チェックインで
確認したところ、朝食は宿泊代に含まれておらず、一人30ユー
ロかかる、という。そこで近くのミドレ(Midoré)というパン
屋を教えてもらい、バゲットのサンドウィッチでも調達し、
部屋でゆっくり食べようと考えた。歩道には湯気の立つような
犬の糞が落ちている。一つ目の角に、浮浪者が毛布をかぶって
寝ていた。そのわきには白黒の斑のある犬が、飼い主同様熟睡
していた。
パン屋のシャッターが半分上がっていた。かがみこんで中を
覗くと女主人がガラスケースにパンを運んでいる最中だった。
開店はまだかと尋ねると、あと10分待てとの返事。散歩を兼ね、
あたりを歩く。道の反対側をホテルの方へ引き返すと、見上げ
るような鉄格子の堂々たる門がある。一部金箔が塗られている。
何か由緒ありげである。通用門が開いていたので中へ入ると、
向こうから小型犬をつれた老婦人が来た。ここはどういう場所で
すかと、尋ねると「モンソー公園です」との答え。さらに歩を進
めると第2の鉄柵があり、固く閉じられていて、それ以上進めない。
この公園は1769年、フィリップ・ド・オルレアン公が作り始めた
庭園で、12ヘクタールもあるそうだ。
パン屋を覗くと、すっかり準備ができ、一人二人と近所の人々が
パンを買いにやって来ていた。フランス旅行の楽しみの一つが、
固いバゲットをかじることである。孫にもぜひこれを味あわせた
いと思い、チーズ、ハムなどを挟んだ30センチくらいのサンド
ウィッチを3本作らせた。そのほか、丸型の固いパンも数個求めた。
女主人は、こちらが分かろうが分かるまいが頓着せず、機関銃の
ようにフランス語でまくし立てる。何とか勘定を済ませ店を出る。
全部で15ユーロくらいであった。ホテルの朝食1人前の半額で、
3人が十分食べられる。
コーヒーを沸かし、パンを味わう。噛めば噛むほど味が出るのが、
フランスパンのよいところだ。
8:30 ホテルを出る。メトロ2番線のクールセル(Courcelles)駅
でカルネ(回数券10枚で12ユーロ、もし単独で1枚ずつ買えば、
10枚で17ユーロかかる。つまりカルネを使えば5ユーロ儲かる仕組みだ)
を自動券売機で買う。どうやっていいか戸惑っていたが、はたで見
ていた孫が手際よく操作し、難なく買うことができた。これでは
どっちが付き添いか分からない。
2つ目のシャルル・ド・ゴール・エトワール駅(Charles de Gaulle Étoile)
で、メトロ1番線に乗り換え、6つ目の駅パレ・ロワイヤル(Palais
Royal)ルーブル美術館前駅で下車。
9:00開館を控え、すでに大勢が切符売り場付近に集まっていた。
後でわかったことだが、美術館、博物館、大聖堂などへの入場には厳し
い所持品検査が行われている。私は、たまたまスイス・アーミーナイフ
をパン切りように持っていたので、一時取り上げられ、帰りに戻して
もらうことになった。
ルーブル美術館中庭
ハムラビ法典の刻まれた石柱
ミロのビーナス、モナリザをはじめハムラビ法典の刻まれた石柱に至
るまで、館内地図を頼りに歩きながら、見学した。館内の店でサーモン
やチキンを挟んだサンドウィッチを買い、昼食とする。
セーヌ川右岸をシテ島目指して歩く。足が痛くなってきた。もう少し
大きめの靴にすべきであった。アルコル橋(Pont d’Arcole)を渡りノート
ルダム大聖堂
(Cathédrale Notre-Dame de Paris) 前に出る。さっそく堂
内を見学する。曇っていたために、有名なステンドグラスの色彩が今
一つ物足りなかったが、それでも見応えがあった。堂内の見学を終え
て、屋上へも上がろうとしたが、順番待ちの行列の長さに驚き、屋上
見学は取りやめにした。
フランス旅日記
その1
杉浦 久也 さん