国際列車タリス号
国際列車タリス号(Thalys)に乗り、ブリュッセル南駅
に到着。旧市街へはもう一つ先のブリュッセル中央駅まで
普通列車に乗りついで行かなければならない。切符を買お
うとしたら、手持ちの切符でそのまま行けるとのことだっ
た。
エミール・ゾラの墓
家内の発案で、シャンゼリゼ通りを凱旋門まで散策し、
途中でムール貝・カタツムリ料理専門店で夕食を摂るこ
とにした。
歩行者専用の橋を渡り、コンコルド広場を抜け、遥か
彼方に見える凱旋門に向かってシャンゼリゼ通りを歩いた。
高い並木に挟まれた広い歩道は凱旋門まで2キロくらいか。
家内は、モン・サン・ミシェルでムール貝を食べるには
食べたが、もっとどっさり孫に食べさせたい、という。
「地球の歩き方」に紹介されている店を探し当て、入る。
愛想のよい男性店員が応対、われわれ3人を店の中ほどに
ある席へ案内した。大鍋にいれたまま調理したプロヴァンス
風ムール貝料理と、大皿に盛ったスペイン風料理、を先ず
注文する。食べ終わると、もう一皿リビエラ風料理を追加
注文した。今回の旅行中に食べた料理の中でもっともうま
い料理であった。
勘定の段階で、 “Monsieur, l’addition, s’il vous plaît.”と言う
ように孫をけしかける。孫は、物おじすることなくちゃんと
言うではないか。もちろんよく通じたと見えて、すぐ勘定
書きが届いた。見ると最後に注文した一皿19ユーロ分が欠
落している。悪いこととは知りながら、請求額をそのまま
払い、店を出た。外はすっかり暗くなり、目の前に凱旋門が
照明を浴び、夜空に聳えていた。2~3コマ写真を撮り、
帰路に就く。
メトロでホテルに戻る。部屋に着くや、またまた家内が
コーヒー・カップが足りない、とこぼす。フロントへ電話
すると、しばらくしてボーイがナイフ、フォーク、ナプキン
3セットを銀色の皿に載せて持ってきた。「いや、違う。
欲しいのはコーヒーカップとグラス3つずつだ」と伝えると
“No
problem, sir.”と言って引き返していった。次は、要求通
りの品を持ってきた。気の毒に思い、チップを渡そうと思っ
たが、家内の反対でやめた。こんなサービスの悪いホテルに、
チップなんてとんでもない、と家内の不満はつのるばかりだ。
いずれにしても、ホテル内の命令系統が乱れているようだ。
四つ星のホテルとしては、恥ずかしいことだ。
2月9日(水)パリ、曇り/ ブリュッセル、晴れ
7:10孫を伴い、角のパン屋「ミドレ」へ行く。サンドウィッチ
3本(燻製の鮭、チーズ、ハム、トマト、入り)、ヨーグルト3個
を買って帰る。
ささやかな朝食を済ます。
8:30ホテルを出て、メトロのクールセル駅からナシオーン(Nation)
行きに乗り、ブランシュ(Blanche)駅で下車。また孫の希望で、
モンマルトル墓地(Cimetière de Montmartre)へ行く。エミール・
ゾラ、ハイネ、デュマ・フィス、スタンダール、など著名人の墓を
探し、業績を偲ぶ。これら有名人の墓は、立派で、花が飾られ、
時にはメッセージの書かれたメモが置いてあったりする。
フランス旅日記
徒歩でモンマルトルの丘を登り、白亜の殿堂サクレ・
クール大聖堂(Basilique du
Sacré-Cœur)の裏側に到着
する。表に回り、階段を上り堂内入る。聖職者らしい人
たちがあちこちに立ち、服装の乱れや、私語、写真撮影
、を見つけると直ちに注意する。つまり厳粛な祈りの
場所であることを知らしめるのだ。
堂内を一回りした後、外に出て、高台からパリ市街を
見下ろす。天気が悪く見通しがきかない。残念なことで
ある。
丘を下り、北駅(Gare du Nord)に向かう。国際列車
でブリュッセルへ行き、ヨーロッパの旧市街のたたず
まいを孫に見せたいと、家内が組んだ日程だ。
道が入り組んでいて、困っていると、買い物袋に野菜
などを入れた婦人に出会った。北駅への道を尋ねると、
行き先が同じ方向だからと言って、先導してくれた。
旅人に対して実に親切である。
北駅では、出札口に行列ができていた。ブリュッセル
南駅まで往復3枚(約350ユーロ)を無事買うことがで
きた。発車時刻13:01まで、1時間余りの待ち時間が
ある。例によりバゲットのサンドウィッチを買い求め、
コーヒーを飲みながら昼食を摂る。
コンコルド付近からエッフェル塔を望む
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230222
その6
サクレ・クール大聖堂
杉浦 久也 さん