中央駅から、道を尋ねつつプラス・グラン(Place Grand
へ行く。ここは旧市街の中心で、石畳の四角

211日(金)成田、雪

未明に目覚める。飛行機はまだシベリア上空を飛んで
いた。


 予定より早く、1344成田空港着。雪が激しく降っていた。

1505発のリムジンバスで羽田空港に向かう。道中、雪が
ますます激しくなる。


 羽田空港に着くと、日本食が恋しくなり、てんぷら、刺身
などの入った定食を注文する。うまい。

1730発のJL131便がやや遅れて離陸する。

1845大阪国際空港(伊丹)着。

 ここで孫はわれわれと別れ、モノレールに乗って家に帰る。
われわれはバスで新大阪へ出て、新幹線、在来線を乗り継ぎ

22
時過ぎ無事帰宅した。やっと肩の荷が下りた感じだ。


                                       

帰りは、ひとまずブリュッセル南駅まで来て、
1時間ばかり駅の構内で待つ。
18:37発が5分ほど遅れて
発車した。


2000過ぎ、パリ北駅に到着。メトロを乗り継ぎ、ホテ
ルに戻る。メトロは日本並みの混みようであった。

 21時過ぎ、Le Safranへ。前菜にオニオン・スープ、主
菜に家内はスモーク・サーモン料理、孫はパスタ、私は
鮭と野菜の蒸し焼き料理、をそれぞれ注文。デザートに、
La Pomme, チーズケーキなどを注文。エスプレッソで
仕上げ。パリ最後の夜ということで、少々贅沢な夕食と
なった。



210日(木)パリ、曇り、時々晴れ間、小雨

700 孫とパン屋「ミドレ」へ最後の買い出しに行く。
女店主に顔を覚えられ、「昨日と同じものか」と言い
ながら、サンドウィッチを
3本手早く作ってくれた。
トマト、サラダ菜、チーズ、ハム、などを適当に挟ん
だものだ。缶入りオレンジジュース
3個を加えて勘定を
する。「今日、日本へ帰る」と言ったら
“Bon, voyage!”
と別れの挨拶が返ってきた。


 8時過ぎ、チェックアウト。今回は、追加料金なしで
勘定が済んだ。


「ところで同じ条件で予約したのに、先回の明細と、今
回の明細に食い違いがあるのだが」と、両方の明細を並
べて男性フロントに問題提起。彼は困ってしまい「ちょ
っと待って下さい」と言い残し、奥へ引っ込んでしまっ
た。しばらくすると、「先回の追加料金をいただいた方
の手続きが正しくて、追加料金が抜けている今回の
手続きは間違っている。よって
3泊分の追加料金として
120ユーロ頂くことになる」との返事。

「いや、それは違う。予約の確認書で、一部屋、大人3
と明記されており、英文にある 
“extra person”とは、
4
人目が追加された場合と読むのが正しい」と私は言い
張った。決着がつかないので、支配人を呼んでくれと、
要求した。


 若い支配人が出てきたが、先方の言い分は同じで
あった。当方も主張を譲らず、こう着状態となった。
結局支配人が、「先回の追加料金
80ユーロはそのまま
とし、今回の追加料金
120ユーロは頂かないことにする。
それでどうか」と妥協案を示してきた。私も、その案
を呑み、荷物を預けホテルを出た。


 帰国後、ホテルの予約をしてくれた長男に聞くと、
「ホテル側の言い分が正しい。追加料金が一泊
40ユー
ロついていることを言い忘れた」とのこと!何のこと
はない、私は
120ユーロ踏み倒したことになってしまっ
た。もう、
Hiltonへは泊れない。

 メトロでコンコルドまで行き、オランジェリー美術館
(Musée de l’Orangerie)
を訪れた。モネ、セザンヌ、ルノ
ワール、ピカソ、モジリヤーニ等々、有名画家の名画が
目白押しだ。モネの睡蓮が部屋を取り巻くように壁いっ
ぱいに描かれている。近づいて見ると、白く一刷毛さっ
と塗られていて、花らしくもないが、離れて見ると立派
な睡蓮の一輪となる。


フランス旅日記

形をした広場で、4辺を石作りの重厚な建物が囲んでいる。
市庁舎や博物館などがある。西方へ路地を進むと、左側に金色
に輝く女性の横臥像がある。みんなが撫でている。こうすると、
またここへ来るそうだ。さらに進むと四辻の一角に有名な
「小便小僧」が気持ちよさそうな表情で、永遠の「放尿」を
続けている。観光客が群がり盛んに写真を取り合っている。

ナポレオンの墓

ついでに私は、戦争博物館もゆっくり回りたかったが、
家内も孫もまったく興味を示さないので、早々と見学を打ち
切り、ホテルに戻った。預けた荷物を受け取り、タクシーで
シャルル・ド・ゴール空港に向かう。


 JALと共同運航のエール・フランスのカウンターでチェック
イン。黒人の職員が、まことにゆっくりとした動作で、手続き
をしてくれた。エール・フランスのラウンジが使えるか、と
尋ねたところ、「どうぞ」との返事だった。ラウンジで休憩
する。この間、家内と孫は土産物を買うのに懸命だった。


1730搭乗開始。

1830 JL 406便、離陸。長時間の飛行に移る。復路は夜の
ため、食事後は熟睡。


201123日~211日)

モネの睡蓮を学習する小学生たち

この像に触るとまたここへ来ることができるそうだ

その7

杉浦 久也 さん

小便小僧

今回最後の美術館めぐりを終え、コンコルド橋
(Pont de la Concorde)
を渡り、アンヴァリード
Hôtel des Invalides廃兵院)に向かう。ナポレオンの墓を
孫に見せたいからだ。

プラス・グラン広場