第15回
デンデン坂
240120
歴史・文化探訪の会
ご報告
去る11月13日(日)に実施しました、第15回探訪会「常滑大野町とやきもの散歩
道」について報告します。
9時30分頃名鉄大野町駅に20名が集合し、地元ガイド村田さんの案内で探訪会を
スタ−ト、大野川を渡り町中に入る。徳川家康も絶賛した樹齢680年の銘木「びゃく
しんの木」(累代大庄屋の平野邸内にあった)を見て、尾張大野歴史資料館へ。ここで
大野町やお江の歴史資料を見学した(お江の頃は佐治家の城下町として発展、塩湯治(世
界最古の海水浴場)も行われていた)。その後平野邸のうだつ、古い長屋風の町並みな
どを見て、斉年寺(佐治家の菩提寺)に着く。ここでお江の佐治家に嫁いだ年齢や離縁
までの期間について解説があった(資料がなく11歳〜13歳、3ヶ月〜7年と諸説ある)。
本堂にも上がり、雪舟のだるま図(レプリカ)や佐治家の位牌等も拝観した。続いて内
宮御祭宮社を見学、近くの堤防から常滑の海を見渡し、斉年寺に戻る。
ここからタクシーに分乗し大野城址へ。再建された大野城跡展望台に上がり、一成とお江
も見たであろう伊勢湾を遠望した。再びタクシーに分乗し、初代大野城主駿河守宗貞の
墓のある蓮台寺へ。伝説の「衣かけの松」(大野城落城の際、お江が井戸への投身を装っ
たという)も見学し、樂遊館へ(松尾足袋の別邸、外は洋館作り中は和風で、重役等の接
待に使用した)。ここで1時間ほど昼食休憩懇親の時間をとる。特別に地元と云うこと
で副会長の水谷先生にお忙しい中をご挨拶にお越し頂いた。
昼食後タクシーに分乗し、午後1時過ぎ常滑陶磁器会館へ。ガイドの稲葉さん挨拶後、
「やきもの散歩道」(Aコース約1.6km)を約1時間半散策した。
常滑は「日本六古窯」の一つで、12世紀頃から、海辺の地の利を生かし海運で、
大型で丈夫な壺、甕など実用的な容器が日本全国に流通していった。
現在常滑焼きといえば赤茶色の急須や湯飲みを思い浮かべるが、朱泥焼きの技法が
取り入れられたのは比較的新しく江戸時代末期で、鉄分の多い粘土を酸化炎焼成する
ことで赤茶色が得られた。(常滑は粘土のみの陶器、瀬戸は長石などの磁器)
散歩道の入り口の白い大きな甕(化学薬品入れ)、水蓮鉢を見て、坂道を上り壁画前
に(小学生の作品)。
「散歩道」は坂道が多いが、これは昔釜を築くのに斜面を利用したため、自然と丘
のような所にやきもの工場が集積された。
擁壁の土留めに土管が使われているが、これは不良品の廃物利用で常滑では至る所
でこの風景が見られる。
土管は上下水道や農業用排水、電気ケーブルを通す(電纜菅)などに使われ、温度
変化や熱に強く耐久性に優れている。
電纜菅の塀沿いに進みレンガの煙突前に。
最盛期には300〜400本あった。高いものでは25mもあったが、窯が大きかった
ことにも因る。燃料が石炭から重油、ガスと切り変わり現在はお役御免に。
カエルの大甕、壺の前に。
これらはひも造り(粘土の太いひもを少しずつ積み上げて造る)の手法で造られた。
名古屋芸大陶芸工房に突き当たり、コースを外れ、巨大招き猫(とこにゃん)の前に
(左は人招き、右は金招き)
創作陶器屋、焼成室(現在は展示スペースに)を見学、名古屋芸大常滑工房(かつ
ての土管工場)へ戻り、黒い板塀や道路を跨ぐ製品運搬用の渡りを見学。「敷き輪」の
滑り止めのある坂道をダンマ(窯の材料)の塀を見て下り、茶屋を折れ曲がり、焼酎瓶
の土留めの所へ。
焼酎保存に瓶を使用したところ、非常に保存状態が良かったことから広まった。
敷き輪をすることによって、不良品の割合が少なくなった(5%に)。
続いて廻船問屋瀧田家を通り、デンデン坂(焼酎瓶の壁が見事)を登り、有名な土管
坂へ(道が狭く急坂)。更に電纜管の塀、自然釉のかかった古い甕を見て、登り窯広場
へ。大きな甕が建物の横に展示してあった。(戦時中B29を攻撃するロケットを飛ばす
薬品(ヒドラコン、過酸化水素を発生)を入れるのに使用)
最後に登り窯を見学し、解散時間を過ぎていたので、急いで陶磁器会館へ戻る。ガイ
ドへのお礼を述べ、探訪会を終了、15時頃解散した。
斉年寺にて(常滑大野町探訪)