「日の丸工場」の底力

プレジデント 3月10日(土)10時30分配信

         

     アップル社が公表した取引先リストにある日本企業

公開された取引先は全体の97%

「正直、面食らっているんです」
 米アップル社が1月13日、これまで秘中の秘としてきた世界中の部品調達・生産委託先156社の名を公開した。この英字リストには、米系、台湾系などとともに日本企業も。ソニー、シャープ、NECなど大手から地方の非上場企業まで、32社の名がある。

 冒頭の一言は、その中の一社に取材を申し込んだ際の反応だ。無理もない。アップル社は取引先との間で、取引じたいを公開しない秘密保持契約を結んでいるからだ。なぜ今、社名を公開したのか。
「取引先工場の劣悪な労働環境の改善のために、過去6年にさかのぼったレポートを作成しました。しかし、取引先の企業名を公開しなければ、(改善の努力や効果の有無を)秘匿していると思われてしまう。リストに掲載した会社には、これまで監視の目を緩めずにやってきたということです」(アップルジャパン)

 一昨年、中国で工場従業員の自殺が相次いだことが批判されたのを受けたようだ。が、「リストにあるのは取引先の97%。残り3%はこちらでもわかりません」(同)。間接的に納品している企業は入っておらず、また、あるべき企業の名が見当たらず、「何らかの基準があったのでは」(別の一社)との声も。すべてをオープンにしたわけではなさそうだ。

 このリストに掲載された東陽理化学研究所(以下、東陽社)は、現在年商約56億円、従業員340人(2010年12月期)。1950年に国内初のステンレス電解研磨専門会社として発足、非鉄金属の加工では国内有数の技術を誇る。

 同社が本社を置くのが、ステンレス、チタンなどの金属製品製造で知られる新潟県燕市。江戸初期、困窮した農村の副業として始めた和釘の製造を端緒に、今は金属洋食器、金属ハウスウエアをはじめ、あらゆる金属製品を手掛けている。

 本誌の取材依頼に、「取材には一切応じていません。アップル社の許可がないと……」。ある民間調査機関の調査マンは、同社について「研磨工程の特許技術を開放し、地元の発展に貢献した。アップル社とは“いい関係”を築いており、ノートパソコン『PowerBook G4』のチタニウムの筐体は同社製」と解説した。


「コピー工員」ではなく「職人」であり続ける

 燕市には、研磨・表面処理・プレスといった技術を持つ“磨き職人”たちのシンジケートがある。結成は03年。市内の14〜15社で構成され、市内外から舞い込む仕事を共同受注する。
「昔は、一匹狼ばかりでしたが……」

 現在、市内施設「磨き屋一番館」で磨き職人の後継者育成に携わる田中三男・燕研磨振興協同組合理事長はそう語る。田中氏が、従業員3人と研磨業を営んでいた01年、東陽社からIT機器研磨の仕事が回ってきた。初代iPodのステンレス製ボディの研磨だった。鏡と見紛う水準の、ピカピカの裏面である。

 当時はまだシンジケートがなく、田中氏は職人たちの集まりである研磨工業会を通じた取りまとめ役となった。
「1個磨いて100円。自分でやってみたら、1日100個で1万円が精一杯。当時は1日3万円、4万円稼ぐ人もいたからやる人がいない。最初は私も断ったけど、受けた責任もあるから、仕方なく私だけで始めた(苦笑)」(田中氏、以下同)

 東陽社は、プレス加工と付属品のスポット溶接でiPodの筐体を形づくる。磨き職人は、バフと呼ばれる円盤型の研磨道具をモーターで回転させ、そこに筐体を手であてて一つ一つ磨き上げる。
「この仕事を受けた理由は、いずれIT関係の時代がくるんじゃないかという考えもありました。ただ、当時はパソコンといえばウィンドウズ。アップル社の名はあまり知られてなかったと思う」

 01年11月、日米欧で同時発売されたiPodは、いうまでもなく大ヒットし、「目に見えて量産体制に入った」。参入する磨き職人も急増した。
「磨き屋さんは『自分の技術が一番』という我の強い人が多く、また人数が増えた分、ばらつきが出て不良品が増えた。これではダメだから、最低限のレベルを保つためにマニュアルをきちっとつくって教えた。これで歩留まりが非常によくなって、新たに参加しやすくなった」

 3年経つと、いよいよ人手が足りなくなって、素人の派遣社員に一工程ずつ指導、投入することも検討したという。

「東陽さんは中国の工場で研磨を始めた。我々も30人ほど、市の助成金を頂いて現地を視察しましたが、大勢の人が1〜2工程ずつ流れ作業でやっていた。職人ではなく工員という発想。そうやって、鍋でも何でも燕の製品のほとんどは中国でもつくられるようになってきたんだね」

 約2年をかけて、iPodの研磨はすべて中国へ移管された。「その間、5年半で計6000万個を磨いたときいています」。
 現在、シンジケートでは富士重工業のジェット機の翼の研磨も手掛ける。国内大手の薄型携帯電話の仕事も入っていたが、一人一工程の量産品は、若い職人の技術向上が望めないとの理由から、受注をやめる決断を下したという。

 磨き職人は高齢化に加え、きつい仕事だとして、若年層からは敬遠されているという。しかし、コピーしかできない工員ではなく、よりいいものを追求する職人であり続けることが、しぶとく生き残る道だと彼らは確信しているようだ。


売上高の約7割がアップル社向け

 大阪・池田市に本社を構える銭屋アルミニウム製作所は、その名の通り自動車やIT関連のアルミ製品が主力。リストに掲載された企業の中でも売上高に占めるアップル社の比率が約7割(民間調査会社調べ)と格段に高い。アップル社の快進撃に牽引され、11年9月期の売上高は162億円と、2期前に比べ7割増で過去最高となった。取材については「すべてお断りしています」と慎重だ。金属加工業界に詳しい人によれば、「戦前、創業者が堺市で個人商店を立ち上げたのが始まり。アルミ製の鍋ややかんなどの大手だったが、IT関連製品などのビジネスに移行。パソコンやデジタルカメラの金属ケースなどを手掛けるようになった。プレスの優れた技術を持っていて、基本的に軽圧業者から板を買ってプレスをかけ、製品化している」

 グループ会社の一つ、ゼニライトブイは、現在の浮ブイ標の原点とされる標識灯を開発。「国土交通省や海上保安庁、大手ゼネコンにも納めている」(民間調査会社調査マン)という。

 日本アルミニウム協会(本部・東京都)の大阪支部によれば、「大阪・関西地域のアルミ関連企業は中堅企業が多いのが特徴」という。

 アルミ加工には、板をつくる圧延工程と、アルミサッシに代表される押出工程(プレス加工)の2種類があるが、関西のメーカーでは、板製品・押出製品ともに独自の技術を売り物とする企業が目立つ。押出の場合は、金型の技術と強く結びついているのが特色だ。

「日本の金型技術、特に精密加工の分野は非常に高水準で、中国・韓国・台湾の先を行く。大阪・関西地域の多くの企業は、そういうレベルの高い精密加工を行っている」(同)

 銭屋アルミもその一つというわけだ。


高シェアを誇る“縁の下の力持ち”

 戦前の長野県は、輸出産業の花形だった生糸の一大産地だったが、戦時中に都市部から移転してきた工場がベースとなって、戦後は電子部品・精密機器と、これまた日本のお家芸の拠点となっている。

 同県南部の伊那市も養蚕地帯から様変わりし、現在は就労人口の約7割が製造業の従事者とされる。先のアップル社のリストに載った1社、ルビコンは、52年にその伊那市で操業を開始。現在、従業員数約630人、年商は704億円(10年9月期)。アルミ電解コンデンサーを年に約80億個生産し、世界シェア約7割を誇る。その自信もあってか、「コンデンサーを使わない電気製品はないし、(秘密にしても)使い道はだいたいわかるから」と、取材に応じてくれた。

「日本の電機メーカーさんの主な製品にはほとんどうちのが入っています。アップルさんとは、01年から十数年のお付き合いですね」
 と、勝山修一社長は笑顔を見せた。

「当時、ESR(電気抵抗)を従来の約3分の1に減らした画期的なコンデンサーを開発したことが取引の契機です。ほとんどのメーカーさんに紹介しましたが、アップルさんにも非常に興味を持っていただきました」(宮原拓也・技術企画部長)

 98年のiMac発表で奇跡の復活を遂げたアップル社と、既存品を“全とっかえ”しかねない勢いだったルビコンとの取引はごく自然の成り行きだろう。

「今、iPhoneの充電器1個につき、うちのコンデンサーが3本使われています。iPhoneは従来のケータイより使用電力が多く、家庭、職場、携帯用と従来の3倍の売り上げが期待できる」(勝山社長)

 パソコンを皮切りにデジタル機器の薄型・小型化・高性能化が進むとともに、コンデンサーも急速に小型化している。

「アップルさんとの交渉は、だいたい我々が米カリフォルニア州クパティーノの本社に出向いて、主に技術的な打ち合わせや価格、新商品のプレゼンテーションなどを行います。コンピュータのマザーボード周辺について、CPUを起動する電源関係のデザインをしている方とお話しする機会が多い」(宮原氏)

 今は設計も製造も台湾などの企業に投げてしまうメーカーが多い中、「今も少し毛色が違うというか、新しいアイデアを盛り込みながら独自の考え方で設計を進めている印象です。細かいところまでは教えていただけませんが、他社が使わないような低ESRの部品を採用して回路の効率を高めたりしている。エンジニアどうしですから、極端に無理な要求がくることはありませんよ」(同)

 半導体のように注目される“花形”部品と違い、コンデンーや抵抗器は自らは動かぬ受動部品と呼ばれる。地味な存在だが、これなしでは能動部品も動かない。同社は高シェアを誇る“縁の下の力持ち”という手堅いポジションを維持する。

「電子部品はまだまだ日本が強い分野。輸出産業の中で国内生産の比率が一番高いのでは。今は為替レートが海外生産の比重を上げるよう迫っている」(勝山氏)

 為替が80円台を維持すれば後は何とかやっていける、と勝山社長は言う。

「我々は72年に海外生産を始めている。開発は日本、生産は海外というのも一つのやり方です。しかし、それは日本経済にいい結果をもたらさない。やはり開発部門と生産部門は、同じ場所で一緒にやっていないと、本当の意味で製造業の水準は維持できません」(同)

 逆風に柔軟に対応しつつ、独自の哲学を持ち、技術を磨き続ける。しぶとく生きる彼らに学ぶところは多いようだ。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a
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