韓国(ソウル)の旅


                                     大橋 光雄 さん



 ソウル(韓国)を旅しました。

 いつもの仲間(高校時代の友人5人組)で楽しい旅でした。

平成23年12月07日(水)〜10日(土)
 ソウル3泊。
 
 中部空港 17:45発アシアナ航空(OZO0123便にて
 仁川空港着 19:50
 (約2時間5分)時差なし。
  到着後バスでソウルへ。


 今回の旅の主な内容

  (1)宗廟(世界遺産)
  (2)南大門市場
  (3)漢江遊覧船クルーズ
  (4)奉恩寺
  (5)カロスキル(ソウルの新スポット)
  (6)水原華城(世界遺産)・・韓国の万里の長城と言われている
  (7)自由の橋
  (8)鰲頭山統一展望台



仁川国際空港に到着



宿泊ホテルのカード




宗廟チョンミョ(世界遺産)


 宗廟は李氏朝鮮王朝の歴代王と王妃や功臣の位牌(神位)を祀り、祭祀を行っていた場所で、李朝時代の建築物の中で最も整然とし、荘厳かつ神聖な場所。
 1395年(太祖4年)に建てられて以降、毎年ここで宗廟祭礼儀式を行っています。
 総面積56,503坪(約186,000?)の宗廟は現在史跡第125号に指定、管理され、宗廟内部と宗廟に関連した文化財では正殿(チョンジョン・国宝第227号)、 永寧殿(ヨンニョンジョン・宝物第821号)、宗廟祭礼楽(チョンミョチェレアッ・重要無形文化財第1号)、宗廟祭礼(チョンミョチェレ・重要無形文化財第56号) などがあります。






宗廟入場券




宗廟入り口




日本語ガイドの案内で見学




宗廟祭礼・祭礼楽の説明版




御斎室
国王が祭礼の準備をした場所










典祀庁
宗廟大祭のお供え物を調理した場所

左側の壇(饌幕壇)・・典祀庁で調理したお供え物を検査した場所
右側の壇(省牲位)・・祭物である牛・羊・豚を検査した場所





正殿
各王と王妃あわせて計49位の位牌が19室に祀られています。 韓国の単一建物としては最長の建物(101m)で、前面に長く整えた石を積み上げて作った広い月台(東西109m、南北69m)を置き、 祀廟建築としての品位と荘重さを表わしています。このように建物が長い理由は、朝鮮王朝が続き奉安する歴代王の位牌が増えたことで、 幾度にわたって建物を横に増築していったからだそうです。



永寧殿
永寧殿は、正殿にずっと祀られていなかった王と王妃の位牌を移動し、祭祀を行った別廟。 永寧殿の建物と廟庭の規模は正殿よりも小さく、2つの建物の階級の違いを表わしています。 また永寧殿は、真ん中の太祖の4代祖を祀った4間を、その左右の夾室(横に付属した小部屋)6間よりも高くし、階級を区別しています。



最も高い真ん中の道を「神香路」、東側を「御路」、西側を「世子路」といいます。ちなみに真ん中の最も高い道は神が通る道。








南大門市場ナンデムンシジャン


 600年の歴史を誇るソウル最古の市場、南大門市場(ナンデムンシジャン)。東大門市場(トンデムンシジャン)がファッション関連のショッピングスポットならば、 こちらはキムチや海苔、高麗人参、マツタケなどの韓国食材、そしてメガネ、革製品、アクセサリー、時計、子供服、お土産、伝統モノなど 食材を中心になんでもそろってる何でも市場。





焼失した南大門は再建工事中




南大門市場




南大門市場




南大門市場





漢江遊覧船ハンガンユランソンクルーズ

ソウルの中央を流れる漢江  船の上からソウルの景色を堪能。


 ソウル市民にとって自慢の観光スポット、漢江の魅力を満喫できる漢江クルージング。
 観光客だけでなく、地元の人からも人気の遊覧船です。 昼間の景色もきれいですが、日が暮れていく景色やソウルの夜景を楽しめる時間に乗るのもオススメ。
 ライブ遊覧船やビュッフェ遊覧船もあり。






漢江遊覧船 乗船場




ソウルオリンピック会場




ソウルタワー(山の上)




ソウルタワー





奉恩寺ポンウンサ


 奉恩寺は、新羅時代の高僧緑会国師によって、李氏朝鮮王朝第9代君主・成宗(ソンジョン)の墓陵(宣陵)を守護する奉陵寺院(ポンヌンサウォン) として1498年に創建されました。
 このとき見性寺(キョンソンサ)から名称を「奉恩寺」に改め、墓陵の陵寺とし殿閣を造営しました。
 その後1562年(明宗17)には、今の江南区三成洞修道山に移転、現在まで約1200年の歴史を培ってきました。





奉恩寺





法王楼
法王楼の機能は、出入り口の通路と仏前四物の奉安場所および大法会のとき、 仏前行事を準備する場所であり、祈祷としても利用されています。



大雄殿
1982年に創建。





大雄殿内部
三相の天蓋を立てて、中央に釈迦牟尼を主仏として奉安し、左側には阿弥陀仏を、右側には薬師如来を奉安しています。 後仏幀画としては、三如来会上図を奉安しています。



鐘楼




鐘楼




太鼓・木魚










水原華城スウオン ファソン(世界遺産)



 水原城は李氏朝鮮王朝末期に造られました。
華城行宮という王様の別邸(現在復元中)を中心に、全長5.7キロの万里の長城のような城郭と、 その要所要所に門、砲台、やぐら、兵士の休憩所、軍事指揮所、訓練所などを東西南北に整然と組み込んだ素晴らしい建造物です。
 水原市民の憩いの場でもある水原城は1997年に世界遺産に指定されてから修理復元も急ピッチで進み、今では韓国語がぜんぜん分からなくても、 気軽に見学できるようにしっかり整備されました。





蒼龍門(チャンロンムン)









蒼龍門(チャンロンムン)









錬武台(ヨンムデ)
兵士を訓練した所。 なだらかな丘の上に一面芝生が広がっていて、まさに訓練場そのものです。 韓国式弓道の練習場が設けられていて、一般の人も会員になれば、弓の練習をさせてもらえます。



東北空心ドン
兵士が中に入って敵を見渡せるように作られた望楼の一種だとか。 特にこれは、煉瓦を使って建てられた建物であり、華城の中でも特に素晴らしい傑作と呼ばれているものだとか。








蒼龍門(チャンロンムン)




蒼龍門(チャンロンムン)





自由の橋チャユエタリ


自由の橋は、1998年に統一大橋が開通する前までは臨津江を渡る唯一の橋だった。
1953年に休戦協定が結ばれた後に、戦争捕虜13,000余人がこの橋を通って帰還する際に「自由万歳」と叫んだということから『自由の橋』と呼ばれている。





自由の橋を見学するために作られた橋

雪がちらつき寒かった


見学橋にあるプレート




自由の橋坂
手前に破壊された橋の橋脚が残る



破壊された橋の




破壊された橋の橋脚が残る




臨津閣(イムジンガク)の展望台から見た自由の橋周辺





鰲頭山統一展望台オドゥサントンイルチョンマンデ


 この展望台は漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が合流する地点の韓国側に建てられたもので、川一本をはさんで北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) の開豊(ケプン)郡の農村地帯を見ることができます。
 集合住宅用らしい建物、農業用の倉庫のようなもの、畑、背後に広がる山々・・・。
 ここからだと北朝鮮までは3kmちょっと。
 まだまだ未知の国である北朝鮮の地をゆっくりと眺めることができます。
 さらにこの展望台の地下には食堂や売店があり、売店では北朝鮮開城(ケソン)市名産の高麗人参酒や北朝鮮の切手、工芸品などのお土産も買うことができます。
 板門店やDMZツアーとはちょっと違う雰囲気を味わうことができます。





入場券売り場




鰲頭山統一展望台




館内展示

2010年11月23日
北朝鮮が黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島を砲撃。



館内展示

2010年11月23日
北朝鮮が黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島を砲撃。



館内展示

2010年11月23日
北朝鮮が黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島を砲撃。



館内展示

2010年11月23日
北朝鮮が黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島を砲撃。



館内展示

2010年11月23日
北朝鮮が黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島を砲撃。



館内展示

2010年11月23日
朝鮮が黄海の南北境界水域に近い韓国の延坪島を砲撃。




景福宮キョンボックン


 景福宮は1395年(太祖4年)創建された李氏朝鮮の正宮。
易姓革命で1392年、朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)とその支持者たちが首都遷都を決定し、 即位から3年後の1395年、高麗の首都である開京(ケギョン・現在北朝鮮にある開城(ケソン)の旧名) から首都を漢陽(ハニャン、現在のソウルの旧名)に移す過程で造られた宮殿で、現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)のような機能をしていた李朝の心臓部でした。
 景福宮の「景福」は、「詩経」に出てくる言葉で、王とその子孫、すべての百姓が太平の御代の大きな幸せを得ることを願う、という意味だそうです。



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景福宮




入場券



光化門
衛兵交代の儀式



光化門
衛兵交代の儀式



光化門
衛兵交代の儀式



光化門
衛兵交代の儀式



光化門
衛兵交代の儀式



光化門
衛兵交代の儀式



興礼門

2001年10月、85年ぶりに興礼門と興礼門の周辺が復元され、昔の姿を取り戻しました。
ちなみに李朝の正宮である景福宮には古代東洋の法制にしたがい、全部で3つの大門があるそうです。
1つめが外側を代表する光化門、2つめが景福宮全体の大門である興礼門、そして3つめが朝礼が行われていた勤政殿の出入口である勤政門。



勤政殿




思政殿







思政門・思政殿

勤政殿が国家の公式儀式が行われる空間に対し、 思政殿は王がふだん居住しながら政事を見きわめていた便殿です。
思政殿には「国王が深く考え、国を治めなければならない」という意味が込められています。


康寧殿

国王が生活する内殿の中心となる建物で、国王が仕事を終えた後に寝室として使われていた場所。
康寧殿は1395年(太祖4年)創建され、国王が健康で安らかであれば百姓も安らかでいられるという意味から康寧殿という名前がつけられたそうです。








康寧殿の周囲を囲む通路




慶会楼

国王と臣下が参席する重要な宴会や外国使臣を接待する宴会場でしたが、誰もが自由に出入りできる場所ではありませんでした。
池の真ん中には2つの島があり、東側にある四角い島に慶会楼があり、景色もとてもいいところとなっています。









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