中山道・醒ヶ井宿を歩く
                                                                                                                                                                                  大橋 光雄 さん   






中山道・醒ヶ井宿


 美しい地蔵川の流れに沿って町並みを形成する醒ヶ井宿。
 川のほとりに軒を連ねる様は古き良き時代を偲ばせ、宿名の由来となった居醒いざめの清水が地蔵川の水源として今もこんこんと清水を湧き出す。

 宿場内にはこの居醒の清水をはじめ、十王水、西行水といった湧水が今も水脈を断たれることなく湧き出し、昔から「三水四石」の名所として名を馳せてきた面目を保っている。ちなみに四石とは地蔵川にある蟹石、腰掛石、鞍懸石と源海寺の影向石を指す。

 醒井宿は天保14年(1843年)当時の宿長さ東西8町2間(約876m)、人口539人、家数138軒、本陣1、脇本陣1、旅籠11軒。



(自宅から醒ヶ井・・・片道約50q  ウオーキング・・・約12,000歩)






 JR醒ヶ井駅前の駐車場に車を置き宿場を散策することにした。
 醒ヶ井駅は中山道・醒ヶ井宿のほぼ西の端に位置するので、宿場の西(京側)から東(江戸側)に歩くことにする。

 JR醒ヶ井駅はR21に面している。R21を渡り少し歩くと旧中山道・醒ヶ井宿です。
 醒ヶ井宿は、前をR21、後ろを名神高速道路に挟まれた一にある。





本日のウオーキングコース










醒ヶ井宿 西(京側)入口




西行水




西行水




西行水




地蔵川




十王水




十王水
この奥 民家の裏庭に・・




了徳寺・御葉附銀杏




了徳寺・御葉附銀杏




了徳寺・御葉附銀杏
天然記念物



醒ヶ井宿の町並み




醒ヶ井宿の町並み




醒ヶ井宿の町並み




醒ヶ井宿資料館(問屋場跡)




問屋場跡(醒ヶ井宿資料館)
完全な形で残っているのは非常に珍しい



醒ヶ井宿資料館(問屋場跡)




本陣跡(現在は樋口山という割烹料理店)




消火栓も町並みに会わせたデザイン・・




地蔵川の流れ




地蔵川の流れ





地蔵川の流れ
今度は梅花藻の季節・・・




清流地蔵川には・・・





延命地蔵




延命地蔵




石造地蔵菩薩




居醒の清水

 景行天皇の時代に、伊吹山に大蛇が住みついて旅する人々を困らせておりました。そこで天皇は日本武尊にこの大蛇を退治するよう命ぜられました。 尊は剣を抜いて大蛇を切り伏せ多くの人々の心配をのぞかれましたが、この時大蛇の猛毒が尊を苦しめました。やっとのことで醒井の地にたどり着かれ体や足をこの清水で冷やされますと、不思議にも高熱の苦しみもとれ、体の調子もさわやかになられました。
 それでこの水を名づけて「居醒の清水」と呼ぶようになりました。   米原町

左から「四石」の  腰掛石と鞍懸石





「四石」の一つ蟹石




雨森芳州
江戸時代の儒学者・教育者・外交家。二十六才のとき木下順庵の推挙により対馬へ渡る。
以来、朝鮮・中国との外交に尽くし、特に朝鮮通信使との折捗・応接に貢献する。その善隣友好互恵対等の外交姿勢は、現在も高く評価されている。
八十才で一万首の歌を詠む決意をした芳州は、古今和歌集を千回も復読したという。この歌も、その中の一首である。        米原町





賀茂神社(別雷皇宮)




>醒ヶ井宿の町並み
神社の境内の端っこに立つと、瓦屋根の町並みがよく見えた



醒ヶ井宿東の入り口(江戸側)




東の見付け・枡形




醒ヶ井宿東の入り口




醒ヶ井宿資料館(旧醒ヶ井郵便局舎)




醒ヶ井宿資料館(旧醒ヶ井郵便局舎)
大正時代にヴォーリスが参加して建てられた木造2階建ての擬洋風建築。 昭和48年まで醒ヶ井郵便局として使われていた。



醒ヶ井宿資料館(旧醒ヶ井郵便局舎)




明治時代の醒ヶ井尋常高等小学校の玄関
説明板



松尾寺政所



松尾寺由緒説明板

昭和36年名神高速道路の建設に伴い小学校が鉄筋校舎に改築されるとき当時の松尾寺住職がこの貴重な建造物を残したいと移築した。
後ろの建物は、大正2年に建てられた料理旅館「醒ヶ井楼」でした。

 昭和27年無住になった所、当時の松尾寺住職が松尾寺山山頂より寺仏、持宝をこの中仙道筋に移し、松尾寺政所として活用してきた。








帰り道ちょっと寄ってみました

三島池  『滋賀県米原市池下(旧山東町)』


 周囲約780m、面積3万9000平方メートルあります。今から700年ほど前に、農業用水池として造られた楕円形の池です。三島神社との関係が深く、昔から鳥獣や魚貝類が保護されてきました。
 日常の水位50cm前後で、水質は清冷。多くの生物が生息し、さまざまな水鳥や野鳥が飛来します。

 昭和32年(1957)マガモの自然繁殖を確認しています。近くの大東中学の生徒による 2年間の観察の結果、昭和34年(1959)に「マガモ自然繁殖の南限地」として、県の天然記念物に指定されました。

 また、このあたりは昭和39年(1964)から鳥獣保護区(面積350ha、池の周辺60haは特別保護地区)に指定され、開発が規制されています。

 桜の名所でもあり、4月になれば、水面に影を落とす伊吹山と桜の美しい調和が見られます。



三島池




カモ




カモ




まがも生息地
昭和32年大東中学校科学クラブの生徒がこの池で、 マガモが5月はじめに産卵し、6月にはじめにふ化することを確認した。



人工浮巣
この池は農業用の貯水池で春は満水になる。 したがって水鳥の巣が水没する。当時、大東中学校で考案した人工浮巣でふ化を成功させた。


三島池散策路





三島神社




88番札所 円通寺




日本一大きな灯籠




伊吹山と三島池



231023

                                                 
























inserted by FC2 system