トルコ旅日記

(2012221日~31)

その1

杉浦 久也 さん



                  行程略図

221日(火)名古屋晴れ

1110 ルフトハンザ737LH737)便で中部国際空港出発。今回のツアーはクラブツーリズム主催のもので、愛知を始め東海地区の参加者総勢16名であった。ほとんど年金生活者である。

飛行機はシベリア上空を西へ進み、約12時間後、同日15:12分(現地時間との時差マイナス8時間)フランクフルト空港へ着陸。空港が何やらひっそりしている。普通ならトラックや長い荷物運搬の車をけん引する車が動き回っているはずだが、今ストライキの最中だそうだ。その代り、無数の簡易ベッドがターミナルの空間を埋め尽くしていた。これは空港で行き場を失った乗客のために用意したらしい。ドイツ人らしい、用意周到さだ。

この空港職員ストのために、われわれの予定便にも影響が出た。予定では1720発のLH116便に乗り継ぐことになっていたが、1640発のLH114便に繰り上がり、あわただしくターミナルを移動した。

フランクフルトを出て間もなく1710ミュンヘンに着陸し、もう一度乗り換えとなる。
1925ミュンヘンを離陸したLH1786はトルコの首都アンカラへ向け飛ぶ。

2310(ドイツとの時差プラス1時間)アンカラに無事到着。ところが添乗員の荷物を除き、われわれの荷物はすべて未着。着の身着のままで一夜を過ごすこととなった。

空港でわれわれをにこやかに出迎えてくれたのはキュルシャッド・オズジャンというトルコ人男性だ。上背のあるがっしりした体格で、年齢は33歳。大学、大学院で日本語を専攻し、修士論文は「日本語とトルコ語の擬音語比較研究」だったそうだ。われわれより早口で日本語を話す。しかも日本の文化、地理歴史などにも詳しい。名が難しいのでわれわれは彼を「キューちゃん」の愛称で呼ぶことにした。



添乗員の南川さんと現地ガイドのKürşat Özcan君(通称キューちゃん)

ターミナルの外へ一歩踏み出し、みんな震え上がった。一面の雪景色で、キューちゃんによれば外気温はマイナス10度だそうだ。家内の言葉に従い、防寒コートをスーツケースに入れておいたのが間違いだった。真夜中の1時過ぎ空港近くのESENBOGA AIRPORT HOTELに入りすぐ就寝。

222日(水)アンカラ、カッパドキア晴れ/曇り

朝風呂を浴びようと浴槽に湯を満たそうとしたが、蛇口から細々としか湯が出ない。30分かけてやっと20センチくらいになった。キューちゃんの説では、トルコのホテルは大量の湯を消費する日本人対応になっていないので、日本人客が一斉に使うと湯が不足してしまうのだそうだ。これは以前ニュージーランドでも経験したことだ。

           ESENBOGA AIRPORT HOTEL

9:00大型バスで出発。寒さで震えていると、同行の男性客が親切にもダウン・ジャケットを貸してくださった。大助かりだ。
全走行距離が3000キロ近くになるため、運転手が二人つき、交代で運転する。まず、アンカラ市内観光である。高台にある「アナトリア文明博物館」を見学する。ヒッタイト文明など、古いトルコの歴史を再認識した。その後、初代トルコ共和国大統領アタチュルクの廟の前でバスを止め、写真を撮る。

バスはカッパドキアに向け南下する。やがて車窓の右手に美しい雪山が姿を現す。ハサン山(3268m)である。



              名調子で説明するキューちゃん


   
 アタチュルク廟



 ハサン山

さらに進むとトゥス湖畔に出る。トゥスとはトルコ語で塩のことで、塩の採取場がある。面積が1500㎡でトルコ第二の大きさを誇り、琵琶湖の2倍以上である。


                          ウチヒサールの展望台から

14時過ぎ、ウチヒサール展望台で駐車。異様な形の岩山が聳えている。人の住居らしい穴があいている。周囲には円錐形をした岩が林立している。

さらに車を進めると遥か前方にエルジェス山(3916m)がかすんで見える。富士山よりやや高い。



                  エルジェス山

16時ころカッパドキアのホテルDEDEMANに到着。心配していたわれわれの荷物すべてアンカラ空港に届いていると南川さんから情報が入る。一斉に歓声が沸き起こる。ただし他の団体の荷物もあり、それぞれのホテルを回った後、DEDEMANが最後の配達となるらしい。それでも一安心というところだ。

夕食を摂り、入浴を済ませた21時過ぎ、やっと荷物が届いた。感謝。

                              (その1 終わり)


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