トルコ旅日記

(2012221日〜31)

その5(終)

杉浦 久也 さん

227日(月)トロイ 朝5℃、イスタンブール/

730出発 トロイまで150キロ約3時間の行程である。発車して間もなくトイレ休憩に寄ったのが土産物店だった。蜂蜜やハーブ入りの石鹸が手ごろな値段で売られていた。女性たちがわれ先にと買い求めていた。わが女房も例外ではない。一箱6個入りのものを2箱求め、1個おまけがついたと喜んでいる。

10時過ぎ、トロイ遺跡に到着。風雨が強くなり歩くのも困難となる。キューちゃんの傘が無残にも壊れてしまった。「中国製はよくない!」と言って、ゴミ箱へ捨てていた。エフェソスの遺跡をみたあとだけに、ずいぶん見劣りのする遺跡だ。



                         生贄を捧げた祭壇



                         トロイの木馬模型

10:45 トロイ遺跡見学後イスタンブールに向け出発。350キロ約6時間の行程である。左手にエーゲ海を見ながら北上する。悪天候のためエーゲ海の色は灰色である。11:30頃ダーダネルス海峡のフェリー発着場に到着し、バスに乗ったままフェリーに乗り込む。船がいっぱいになったら出航するという。のんびりしたものだ。われわれのバスの隣に、韓国のツアー客を乗せたバスが入ってきた。12時過ぎ、出航。12時半には対岸に着き、すぐレストランで昼食。

バスはしばらく北上を続け、やがて東進を始める。右手に見えだした海はマルマラ海だ。写真に収めようとするが、雨のため不可。

17時ころイスタンブールの市街地に入る。車の大渋滞に巻き込まれ、バスは立ち往生となる。キューちゃんの説では、トルコの鉄道事業は進んでいないそうだ。財界の大物が自動車産業を牛耳っており、鉄道の普及に消極的だからだ。当地で見かける外国ブランドの車は、フォード、ルノー、ベンツ、フォルクスヴァーゲン、ホンダ、日産、現代、トヨタなどが目につくが、ほとんどトルコで現地生産しているそうだ。

18時過ぎ、目的のレストランに到着。豪華な感じの店である。トイレの造りに感心する。総大理石である。手洗いの蛇口は銀色に光る馬の頭に象られたもので、馬の口から水が出る仕掛けだ。ところが初めて使う者には、どうやって水を出すのか分からない。蛇口に手をかざしても、馬の頭に触っても全然水が出ない。入ってきた客に尋ねると、蛇口の根元に小さい窓があり、そこへ手をかざすと水が出ると、教えてくれた。

店の豪華さにくらべ、料理は極めて貧疎であった。スープ/炒飯+牛肉・野菜のシチュー/デザートとしてライスプディングだけであった。味は良好。



                         夕食主菜

あちこちにモスクがライトアップされていて、美しい夜景だ。写真を撮ろうとしたが、手振れを起こし、失敗。

ホテルAkgun Istanbulに到着。625号室に入る。

しばらくして、春日井市のTさん、可児市のMさんが来訪され、ウイスキー、焼酎などを傾けながら歓談。愉快なひとときだった。

シャワーを浴び、就寝

228()イスタンブール/

8:50出発

9時過ぎ、ボスボラス海峡クルーズ船に乗り1時間ばかり遊覧する。一つの街がヨーロッパ大陸、アジア大陸と二つの大陸にまたがっているのは、イスタンブールだけだ。船は最初ヨーロッパ側を航行する。高台の高級住宅群が目を惹く。億単位の邸宅と思われる。両大陸を結ぶ吊り橋をくぐって行くと、さらに前方遥か、別の吊り橋が望見できる。日本の援助で架橋された、と聞いている。この地点で船は反転し、今度はアジア側を航行する。スピーカーからキューちゃんの説明が流れてくるが、聞き取りにくくところどころしか分からない。



                   ボスボラス海峡付近の高級住宅街

10時過ぎ、上陸しイスタンブールの観光名所の一つ、グランド・バザールへ行く。縦横に走る路地の両脇に無数の店がありとあらゆる商品を並べている。中に実に巧みな日本語を操る青年店主がいた。彼は商品の売り込みなどせず、ただ日本人と話すのが楽しみらしい。一回りした後二度目に店の前を通ると、「また来ましたね。集合場所はあそこを左に曲がってまっすぐ行ったところですよ」などと教えてくれる。国際友好のお手本のような若者だ。



                        グランド・バザール

1200街のレストランで昼食。炒飯+焼肉、美味。

1300午後の見物開始。最初に世界文化遺産の一つ、ブルー・モスクに入る。堂内の装飾に青いタイルが使われていることから、この名称がついた。入口で靴を脱ぎ、各自ビニール袋に入れ、手にぶら下げて堂内を見学する。一度に5000人が礼拝できるという大広間には、絨毯が敷き詰められている。巨大な4本の丸柱に圧倒される。



                        ブルー・モスクの円天井



                          礼拝大広間



                       
 ブルー・モスク外観

ブルー・モスク拝観後、スケジュール変更。予定ではトプカプ宮殿を見学することになっていたが、本日閉館されていることが判明。急遽、アヤソフィア大聖堂の見学に切り替えた。これも世界文化遺産の一つで、東ローマ帝国時代の正統派キリスト教大聖堂であった。15世紀オスマントルコ帝国時代、モスクに転用され、1935年トルコ共和国の博物館となった。



                         
アヤソフィア博物館外観



                      アヤソフィア内部

次にわれわれが向かったのは、イエレバタン・サルヌジュである。地下宮殿とも呼ばれるが、元来は地下貯水池であったが、現在は特殊な照明と静かなBGMの効果で、日常の雑踏から逃れることのできる寛ぎの空間となっている。



                 
 地下宮殿

1550 Orient Express の終着駅にあるレストランでお茶。トプカプ宮殿の見物ができなかったから申し訳ないと言って、添乗員の南川さんがお茶代を払ってくれた。かえって恐縮した。さて、この駅ゆかりのOrient Expressはその昔ヨーロッパのパリのような主要都市からイスタンブールまでを結ぶ寝台急行であった。アガサ・クリスティの代表作「オリエント急行殺人事件」が有名である。



                 オリエント急行終着駅の駅舎

1700夕食 イカのてんぷらと焼き魚、あまりうまくない。

ホテルに戻り、最終荷造りをする。午前2時出発予定では、ゆっくり眠る暇はない。

229日(水)フランクフルト曇り

午前130分ホテルのロビーに各自荷物を持って集合。

150出発 イスタンブール空港に向かう。真夜中の道は空いており20分くらいで着いてしまった。ずっと懇切なガイドをしてくれたキューちゃんともセキュリティーを通過したところで別れる。お世話になりました。

505発予定のLH1305便フランクフルト行きは50分遅れの555やっと離陸した。途中機内で朝食が出された。朝から赤ワインを飲みながらいただく。

735フランクフルト着(現地時間時差マイナス1時間)。フランクフルト発名古屋行きまで6時間ばかりの待ち時間がある。最後の土産買いなどに時間を費やす。小生も例により、免税店でスコッチウイスキーを求めた。代金を払ったまま品物を忘れて立ち去ろうとしたので、男の店員が驚き「お客さん、ぼくにプレゼントしてくれるんですか!」と叫んだ。あわててレジに引き替えしウイスキーのケースを受け取った。何とも恥ずかしいことだ。

B62番ゲートへ行き、Ken FolletWhiteoutを読みながら待つことにした。

14:00 LH736便離陸。機内食を食べ、アメリカ映画を1本見た後、熟睡。

31日(木)名古屋/晴れ

日本時間の7時ころ家内に起こされる。機は渤海湾上空にさしかかっていた。朝食を終え、ほぼ予定通り9時過ぎ中部国際空港に着陸。流れ解散となり、トルコ旅行を無事終えることができた。             




                                      了



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