旧東海道を行く(6):吉田〜新居 25,412歩

                                                    水野 昭彦 さん

 先回までに自宅のある吉田(豊橋)から宮(熱田)歩きましたので、今回からは東へ、吉田から新居まで歩きました。

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 三河吉田藩は現在の豊橋。関ヶ原の後、池田輝政が姫路に移り、そののち松平家が入って成立。3万石。譜代大名が
歴代藩主を務め、吉田藩に入部することは、幕閣になるための登竜門のひとつであった。幕末には7万石。
 藩主、松平信復(のぶなお)は宝暦2年(1752年)7月に藩校・時習館を創設した。

 どういうことか、旧東海道を歩いていると時に《うなぎ屋さん》に出くわす。吉田の本陣跡は、現在うなぎ屋さんであった。
確か、宮(熱田)の本陣跡もそうだった。8時15分、本陣跡を出発。呉服町、曲尺手町、鍛冶町など昔ながらの町名を抜
けて1kmほど歩くと、藩の東の惣門である。写真の後ろにあるのは、その名も《もちや》。豊橋では有名な老舗のお餅屋
さん。ここで1号線に出て、一路東へ。

  
                                《瓦町:見事な壽泉寺の四重の塔》

  

 旧東海道沿い、円六橋の近くには確か《へび屋さんがあったはず。》と思って、おばちゃんに聞いてみると、《もう少し先》。
今もやっていたら覗いてみようと思っていたら、建物は残っていたがすっかり荒れ果てていた。ただ、看板だけは残っていた。
子どものころ、友達が《蛇を採って蛇屋に売ってきた。》と言っていたことを思い出した。その時は、《へびが何故売れるのか》
と妙な話として聞いたのだが、懐かしい話である。
 吉田本陣から途中で休憩もして約2時間。二川宿に着く。二川宿は53次の本陣を立派に保存している数少ない宿である。
豊橋市がかなりの資金を投入して復元をした。昨年は商家の《駒屋》も新たに公開した。豊橋市民の財産でもある。是非一度
訪れてみたい歴史的価値のある場所であると思います。

   

  
 《古い町並みの軒先に燕の巣があり、親鳥が帰ってくるたびにピーピー鳴いていた》

  

 
                                           《商家:駒屋》


《二川宿の東にそびえる立岩:勇壮な姿は旅人に勇気を与えてくれる》

 
《日曜日の為か旧東海道を歩く人がかなりいた。袖触れ合うも多少の縁》 《昼食:540円とは安い!:美味かった》

 

 
《西から来ると、宮以来の海:旅人の感激や如何:汐見坂》

  

 

 
 《入り鉄砲に出女:街道筋最重要関所の一つ:新居関所=吉田藩管轄》

  


                                                                 20160622