サント・シャペルの礼拝堂

レンヌ駅前の貸自転車

1700閉館を告げられ、外に出る。

 徒歩でセーヌ川左岸を下り、ポン・ヌフ(Pont Neuf)を渡り、
ルーブル美術館を通り抜け、さらにトゥイルリー(
Tuileries)庭園
を経て、コンコルド広場に達する。日も暮れかけてきたので、
凱旋門まで歩くのは諦めた。


 ヒルトンホテルへ再びチェックイン。愛想のよい男性フロントで、
今回は例の割り増し料金一晩
40ユーロの請求は、一切なし。一体どう
したことか。先回のチェックインを処理した女性職員が間違えたのか、
あるいは今回の男性職員が間違えているのか、いずれにしてもチェッ
クアウトの際、決着をつけねばなるまい。


511号室に入る。またまた、コーヒーセットがない、と家内が文句を言う。ル・サフランで夕食。家内がパスタ、孫娘がサーモン、私がビフテキを
注文。味は申し分ない。ところが、注文した赤ワイン
(1/2ボトル)
バカ高いものだったと分かり、反省しきり。注意深く、ワインリスト
をチェックすべきだった。

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       230220


1415モンパルナス駅に到着。孫が訪ねたい場所の一つとして
挙げたのが、有名人の葬られている墓地である。モンパルナス駅
近くには広大な墓地
(Cimetiere du Montparnasse) がある。
シトローエン、サルトル、ボーボワール、モーパッサン、などなど
が眠っている。孫と二人で、墓の地図を頼りに探して回る。


 墓めぐりの後、家内の発案で、先日見送ったサント・シャペルの
見物することにした。この教会堂のステンドグラスは有名で、特に
午後の日差しを受けたその光景を見物するために大勢が集まるという。

 メトロのゲテ(Gaite)駅で乗り、モンパルナスで4番線に乗り
換え、シテ(
Cite)駅下車、急いで行列の後ろにつく。先日に比べ
行列が短く、すぐ入ることができた。最初堂内に入ったところ、
期待に反しまったくみすぼらしい光景だった。孫娘が、切符に
印刷された見事なステンドグラスの写真から、
2階の礼拝堂が
本命であることを突き止めた。あわてて細い階段を上る。

 上の階は別世界だった。天井の高い礼拝堂のステンドグラスに、
西日が差しこみ、何とも言えぬ美しさである。先回私がナイフ
惜しさで見学を延期したために、この光景に出合うことができた。
まさにけがの功名だ。

フランス旅日記

モンパルナスの墓地

モン・サン・ミッシェルの夜景

27日(月)パリ晴れ

朝食は、コンチネンタル風の簡単なものだ。チェック
アウトまで、しばらく外を散歩する。


930発レンヌ行きのバスに乗る。往路では気づかなかったが、
ここのバス料金は年齢により割引されることが分かった。孫に
割引交渉をさせることにした。
3人のパスポートを示し、
25パーセント引きの手続きを立派にやってのけた。

 バスは順調に走り、10:30頃レンヌ駅に到着。バスセンターで
しばらく休憩。隣に、広島から来たという若いカップルがいた。
雑談を交わす。


 私一人で、外へ出て、駅前を散策する。貸出自転車が並んでいた。
珍しそうに写真を撮っていると、初老のにこやかに男が近づいて
きた。なまりがひどくよく聞き取れない。
10分ばかりで、話を
打ち切り、バスセンターに戻る。

201123日〜211日)

その4

12:25TGVに乗る。隣の席で若者3人(男1人、女2人)がいて、
大声で話し合っていた。「あなた方は中国人ですか」と片言の中国語
で話しかけた。山東省出身の留学生たちだとわかった。途中から英語に
切り替えて、しばらく話をする。二人は経済専攻で、一人はフランス
文学専攻だという。奨学金を得て、学費・生活費をまかなっている
とのこと。いずれにしても元気がよい。彼らの行動力を内向き志向が
懸念される日本の若者にも見習って欲しいものである。列車を降りた
とき、中国人学生らは、われわれを追い抜きながら、
“Bon voyage!”
声をかけて立ち去った。気持ちのよい青年たちだった。

杉浦 久也 さん

19時過ぎ、下のレストランで夕食を摂る。メニューから
察すると海鮮料理が得意らしい。魚介類の盛り合わせと、例のオム
レツなどを注文する。値段も
3040ユーロと、かなり高い。ところ
が味のほうはさっぱり駄目であった。


暗くなると、モン・サン・ミッシェルがライトアップされ、幽玄の
世界が出現する。

修道院中庭